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2018年1月31日水曜日

忖度について


ちょっと話題としては古いですが
今回は ソンタク についてです

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忖度について

忖度という言葉を知ったのは就職試験の漢字練習でだった。
忖度、隘路、杜撰、矜持。
意味も読みも分からなかった。
いままで習った覚えが無かったから。
思えば、忖度ばかりしていた。
ひとのことを気にかけて、これはまずい、とか、こうしたらいいだろう、とか。
しかし、その忖度がきちんとなされたかどうかはまた別だ。
敢えて逆を行き反感を買ったりもする。逆忖度。
いずれにしても忖度は美徳でも過剰でもある。
国語の試験が得意だった。作者が何をいいたいか、という問題がでるとこう答えてほしいだろうな、という忖度が働き、それは十中八九正解となる。
それが、理系の人には理解できないところらしい
確かに、考え方はいろいろあり、当の作者がその国語問題を間違えるなどと言うことは良く聞く話だ。
が、こういってほしいだろうな、という意図が読めることが国語の試験では重要で、それを言い当てるというのは学力とどのような関係にあるのか、確かに良くは分からない。
言われなければ分からない、といわれればそれまでで、そういう言説が当然と、世の中がなりつつある。
そんな中で、忖度をしてもそれを実行しなかった。
何に対して反抗しているのか分からないが忖度を心の深くにとどめていた。
勤め時代の最末期。

2018年1月30日火曜日

出世しちゃうよ?


出世しちゃうよ?

私が勤めを始めた昭和の終わりくらいの世代はうかうかしていると出世してしまう危険があった。
年功序列という制度が根強く、永年勤続功労のように誰でもが出世していった。
その当時、ポンコツという言葉は人間には使われなかったが、同僚が上司を称し「人間スクラップ」と言っていた。
言い得て妙だったが、酷い。
その同僚は後にスクラップにならず上司になっていった。
うかうかと出世してしまったのだ。
では、出世をしないためにはどうすればいいか。
その一、上司には何かと楯つく。莫迦にする。
その二、つきあいを大切にしない。回りにあわせない。
その三、仕事をしない、あるいはできない。
これでまず、出世の危険は相当回避できる。しかし、職そのものを失う可能性が大幅に増加する。
さらに職場での居心地は相当に悪くなるだろう。
出世せず職場に居続けるのも相当苦労が必要だ。
今はそのような心配をする必要はない。年功序列は完膚無きまでに崩壊し、出世できないような人材は不要になる時代が来ているから。
その中で生き残るのは私が思うに、実績を上げる能力の持ち主、または、人から嫌われない人間力を持った人材。
両方、あるいはどちらか、人並み以上に秀でていないと生き残れない時代がきている。
私にはそんな実力があっただろうか。
いや、無い。
ポンコツさんはかたかたと頭のねじを鳴らすだけだ。

2018年1月29日月曜日

古いラジオ2


昨日アップしたブログの続きです

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昔は、音を楽しむのにはも大がかりな装置が必要で、お金もかかった。
古いラジオの裏には、フォノというねじがついている。
レコードプレーヤーを繋げるねじだ。
レコードをラジオで聴くことができる。今で言うAUX端子。
ということは、このねじにうまくジャックが取り付けられれば古いラジオの音で音楽を聴くことができるはずだと思った。
昔の歌謡曲やビーバップのジャズ、70年代のファンクやボサノバ、あえて籠もり気味の丸い音で聴いてみたい。
百均のジャックの片方を切って線を出し、フォノにつないでみたら、出た。
音が。
アイポッドに入れた曲を流してみた。
昔聴いたラジオの音で昔の楽曲と今の楽曲をないまぜに聴いた。
もうこれは自己満足の世界でしかないがあえてこんなことを楽しんでみた。
そして、満足した。もしかしたら、楽器のジャックをつないでみたら、エレキギターも鳴らせるかもしれない。
出力が大きくないのでフルボリュームにすれば歪むだろうな、と思う。
いいディストーションが掛かりそう。
しかし、昔よくエレキギターで感電死という事故が起きているので怖くてやらない。
真空管のギター回路をそのままいれて、スピーカーにつないでみたらいいかもしれない。あるいは、ラジオの匠体をそのまま利用してギターアンプとしてしまうとか。
少し大きめのベークライトのラジオなら、中身を取り替えてそんなこともできそうだ
それで、直差しでソロギター。うん。いい。
しかし私はそれがサマになるほどギターを弾けないので、まずはギターの練習から始めなければ。
そういえば、しばらくスイッチを入れてない。
ゼニス、フィルコ、コロムビア、モトローラ、東芝、日立、ナショナル、ビクター。
チューニングが合うと緑に光るキャッツアイという真空管。
スイッチを入れると真空管が暖まりすっと音がフェードインする。
そして切るとすっーと音が消えていく。
静寂に吸い込まれていくようにひとの声が消えていく


この話題
終わり



2018年1月28日日曜日

古いラジオ


コインチェックが返還方針を出して
私のコインも値を戻してきました
引き出せるのかわかりませんが

今日は趣味の話です

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古いラジオ

ひととき、古いラジオの蒐集にはまった。
真空管式の昔のラジオ。
日本の古いラジオは木製で、大きい。家具の様だ。
重厚な外観を裏返すと、機械はほんの少しで、スピーカーは大きい。
アメリカのビンテージラジオ。ミッドセンチュリーというのか、プラスチック、またはベークライト製の(プラスチック、セルロイド、ベークライトの違いって?)紙で言えばB5くらいの大きさ。
時計が付いていたり、角が丸かったり。
日米混ぜて十機ぐらい持っているが基本どれも鳴る。
五十年ぐらい前のものなのにきちんと今の曲が鳴る。
昔の放送が鳴るわけがないが。
鳴らなくなってしまったラジオもいくつかある。
それらは中に小さなラジオを入れる。ラジオ型のラジオケースだ。
修理すればいいのだが、面倒なのでズルをして。
しかし、電気機器を修理できるといいなとは思う。
テスターでキーになる部品を調べていって、破損個所を特定し、配線をし直したり部品を取り替えたり、といったところだろうか。
それが出来れば壊れた物を直して売れる。
実際そうして暮らしをたてている人がたくさんいる。
今の機器はそれとも基盤ごとぱちっと取り替えるだけかもしれない。
自動車も昔の車は簡単に修理が出来て、部品があれば直していつまでも乗れると聞いたことがある。
ラジオについていえば真空管はもう日本では作られていない。
スロバキアやロシアの管を壊れたら刺すことになる。
真空管で音が変わる。
なんというか、ハンドルの遊びのような、ちょっとした糊代のようなふれ幅が昔の機械にはあっておもしろい。
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次回へ
続きます

2018年1月27日土曜日

6月の住民税

コインチェックのショックも覚めやらぬまま
早期退職定番の翌年住民税の話です



6月の住民税

さて、住民税だ。
私としたことが完全ノーマーク。
よく調べておいたつもりがすっかり抜け落ちていた。
早期退職すると、年金は厚生年金から国民年金になり、それは毎月、あるいはまとめて納めなければならない。
これが毎月の経費その一(月払いの場合)。健康保険は国民健康保険となり(あるいは今までの健康保険の任意継続→退職一年目はみんな大抵任意継続にする)これも発生する経費その二。
結構まとまった金額(数十万単位)。これは計算に入れていた。
しかし、住民税は、前年の収入に応じて今年に払うもの。退職所得でごっそり住民税が引かれていたのでそれで完結と思ったら違うのね。
何で役所から今頃手紙が?と思い中をあけてびっくり。
はじめ何のことかよく分からなかった。
前年の所得の住民税は今年、後払い。
え、するってぇと、所得税(国税)?と思ったがそれはどうも違うらしい。
いずれにせよ、失業していて無収入のところへそんな手紙が来たらこれ、大抵の人はへこむと思いますよ。
もちろんちゃんと覚悟をして6月、忘れた頃にもうひと波、税金のビッグウェーブがくる、と思っていれば何ら問題はなかろうが、不覚にもその知識、抜け落ちていたため、今、とんでもない精神状態になりつつこの文したためている。
おさらい。自分で払わなければならないもの、
その一国民年金、
その二国民健康保険、
その三退職一年目は6月のまとまった金額の住民税。
あとの確定申告などはまだやっていないので分かりません。
来年は、ことしの3月までの給料分で集計されるはずだが、認識、合っているだろうか。
とにかく、払う物は払います。
本当に必要な住民サービスに、有効に活用していただける喜びに震えつつきちんと払いますともよ。

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いろいろとやらかしています
これは、ちょっとこの先思いやられます


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ここから4年がたち
だいぶ落ち着きました
ビットコ
600万とか想像もつかない時でした

2018年1月26日金曜日

投資を始めて

投資を始めて

2005年昇進した。
何か新しいことを始めたいと思った。
二人目の子供が産まれ、共働きがきつくなった。
妻に仕事を辞めてもらった。
時は投資ブームだった。
お金に働いてもらう。持たざるリスク。今となっては相場のピークを過ぎたときに聞く言葉だと思う。
仕事で、ファイナンシャルプランナーの資格を取らせてもらった。PERPBR何のことか全くわからなかった。経済に強くなりたいと思った。
セミナーなどを企画することが増え、講師と打ち合わせすることが多くなった。自然、投資にも話が及んだ。まずはやってみるべきだと言われた。
自分なりにいろいろ調べた。そして始めた。個別株への投資だった。すぐに30万程度含み損になった。そのままにしておいた。
投資信託のバランス型をやってみた。毎月分配のものだった。
個別株は何ヶ月後かに70万円ほどの含み益を産んだ。
ユニットバスが取り替えられると思った。
その年を過ぎて明けてすぐ、ライブドアショックがあった。持っていた。みるみる損失は膨らむ。きつい塩漬けが短時間で仕上がった。のめり込む性格なので、その当時は資産の半分以上いろいろな金融商品に投資していた。感覚がおかしくなった。
その後、試行錯誤を重ね、FXにも手を出した。たしか、サブプライム問題の後だった。リーマンショックが来た。百万単位で資金が飛んだ。
すべての資産が多額の含み損を発生させていた。デイトレードもやった。有給をとって。生活費の余剰はすべて投資に回した。
いつも早めのナンピンで墓穴を掘った。
ぬか喜びと絶望を繰り返し、民主党政権での円最高値も経験した。最悪期で資産は40%ほど目減りした。
その後、2014年の政権交代からかなり戻した。含み損は見る見る減り、ある資産はロスカットし、FXはやめ、株は含み益を持つようになった。
相場の循環を知った。いずれ巡って、元に戻ることもあるのかと。
そして、時間の偉大さを知った。大切さを。時間が経てば、ゆくゆく思い描くようになるかもしれない。
思いをもつことが重要だ。
そして、いま、アーリーリタイアを実現した。
件の講師は、儲かった後、その資金をどう使うのかが重要だと言った。
あなたはその資金をどう使いたいの? 
そのとき答えはしなかったが、組織に属さず、自由に暮らす、がその答えだ。
いまここで、改めて答えたい。
ちなみに、未だにあの、ユニットバスほどの儲けの時からは一度も総資産がプラスに浮上せずに現在に至る。


2018年1月25日木曜日

ディスプレイ

今日は多額の含み損を抱えた日経ダブルインバースETF1357の信用買いを
すべて処分しました
あーすっきりした
現物も大分処分しましたが
あとはヘッジとして持っているつもりです
それではよろしければ

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ディスプレイ

一日中PCの前にいる。
当然、電気代がかかる。
ノートにディスプレイをつなげ、キーボードも別付けというのが長年のスタイルだ。
作業画面は広ければ広い方がいいと長年使っていたディスプレイを21.5型に変えることにした。
選択基準はただ一つ、消費電力が少ないこと。
その基準で選んだところ韓国のLGとなった。
今のPCもエイサーなので、日本のメーカーは我が家のIT環境から消えてしまった。
いや、かろうじて子供のPCは東芝コスミオだった。
娘はスマホ・タブレットに親和してキーボードは苦手のようだ。
話は戻りディスプレイだ。アマゾンから届き、まず、軽さに驚く。
足を付けなければノートPCより軽い。
で、いつも工夫するのが置き方だ。
ディスプレイのアームスタンドがいいのだろうが何千円も出す気にならない。
壁にピンフックを刺してそこに三センチほどの板を渡す。渡す先はソファの背もたれ。
ソファの後ろのスペースが我が職場、別名コックピット、それもF1マシンよろしく狭い。目の位置により疲労度合は全く違ってくるので高さ調整も慎重にする。
がさがさやっている内に汗だくになる。
小一時間かけてセット完了。
いままでのディスプレイの半分以下の消費電力だが明るい。
少し暗く暗くした方が見やすい。
その分さらに節電になると思うとさらにうれしい。
セットと設定を終えて、いつもの画面を広げてみると、余りの部分が思惑通り出てきた。そこにユーチューブをもう一つ開く。
一つは東京のライブカメラ、もう一つはキャンプの映像にする。
そして、上も下もチャートやら為替ボードやらFBやら東京やらキャンプやらでディスプレイは賑やかだ。
とりあえず地震に備えての固定もそこそこに、画面の一角でのソロキャンプの焚き火を羨んでいる。37

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今はソロキャンプの火というより 投資状況が火の車です

ではまた


2018年1月24日水曜日

大きく踏み上げられる前の心理

2017年の10月
大相場に壮絶に踏み上げられ 
命金をごすっとへらして
今の煩悶があるわけですが
その心理をよくあらわした書き物がありました

よろしければどうぞ

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幸福感

2017512日現在、
為替は114円を挟んでプラスマイナス50銭程度、
ダウは最高値近辺、日経平均は2万円トライ。
リスクオンの幸福感が漂っている。
そこにひょいとライドして、順バリをしていくということが出来ない。器用ではない。
日本人は逆張り傾向が強いらしい。もろ日本人。
いままで、相場のいろいろな局面でいろいろな感情を味わってきたが、幸福感が長く続いた記憶があまりない。
サブプライムのときはたしか7月頃が幸福感の絶頂で、8月に雲が覆い始め、910月と大嵐になったような記憶がある。
相場の資金の足は速い。逆にそこに個人投資家の投資妙味があるといえば有るのだが、そのような局面でなけなしの資金をはたく恐怖はなかなか乗り越えられる物ではない。
いつかは戻るとは思う。しかも9割以上の確率で。
日経平均最高値も場合によっては再度トライがあり得るかもしれない。
私が生きている間なのかわからないが。アメリカが史上最高値を試したあとは、中国やインド、ブラジル、東南アジアが試しに行くだろう。
人が若い、人口が多い、これは経済にとっては最大の強みだ。
より良い暮らしを求めてこの人たちが躍起になっている。
いまはまだアメリカだがこの先はどうなるかわからない。
そして今、円売りで大損をしている私はまだ、なんやかやで円を売り増ししている。115円を抜けると118円を試しに行くだろう。
ここで円安が折れるか、するする上に行くか。
経験では幸福感の漂う始めた相場にはバシャッと水を掛けられることが多かった。そうなると下は早い。
どうしても下を見るという悲しい癖が私にはついてしまった。290

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あがれば下がる
下がればあがる
振り回されて 振り落とされる
というわけですね

では・・・


2018年1月23日火曜日

コンビニエンスストア

こちらも 大損前のまだ精神的余裕のあったときの文章です
当分 ストックを放出していきます

ところで 業務というのを終えたのが昨年2017年の1月23日でした
だから今日は(業務よ)サラバ記念日・・・

ではよろしければ

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コンビニエンスストア

家の前にコンビニができて一年経つ。
これで家の周りに大手3チェーンすべてそろった。
駅からしばらく歩く住宅地だが採算とれるのだろうか。駅までの通り道になっているので大丈夫なのか。
娘が生まれるときに一晩病院の待合室で過ごした。
そして明け方、ファミマでサンドイッチを買って食べた。早朝のコンビニ。
近くにいないと一生何かいわれると人から聞いていたから。
しかし私の妻はそういう人間ではなかった。「帰ってればよかったのに」と言っていた。額面通り受け取って帰ったらもしかして一生言われたのかもしれない。
ただ、今までにもかなり致命的な行き違いがあったが、そのことについては妻は何もいわない。
今回の退職の件も特に何もいわなかった。普通反対しない?と聞いたら、いっても無駄でしょ、と返された。
今も何かとせこせこやっていなければ居られない私に、どしっとしてろ、と檄が飛ぶ。
仕事中よくコンビニに立ち寄った。
トイレを借りたり、飲み物を買ったり。
とくにサンドイッチとアメリカンドッグが好きで、ただサンドイッチはやすくても200円程度してしまうので三回に二回は我慢していた。
特に食べ物はセブンイレブンのアメリカンドッグと玉子ロールが好きで、何本食べたことだろう。
時間帯によって、アメリカンドッグは作り置きが長いことされている場合があり皮が固くなっておいしくない。
そんなときははずした、と思う。
たまに忙しくて午前午後二本アメリカンドッグを食べて朝・昼食事終了と言うこともあった。そもそも昼の時間はいつとれるかいつもでたらめだった。
今は外出すらほとんどしないで一日中レートやチャートを視ている。
どっぷりと相場にはまりこみ感覚を覚える時期だと思う。その合間に闇雲に文章を書いている。書く行為は仕事様の偽の充実感を感じさせてくれる。思ったことは書く。そしてモニターを視る。書く。
かくしてコンビニから遠のいてしまったが、コンビニ食に慣れてしまった舌はどのくらいで粗食に耐えうるものに還るのだろう。
コンビニ食の方が粗食で自分で煮炊きしたものの方がごちそうなのか。どちらがどうだかよくわからなくなってしまっている。

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つくづくまだ余裕ですね
今は怖くてポジション取れない病になっちゃった


これからの仕事

この文章は仕事に行かなくなった当初に書き始めました
このときは命金をごすっと減らすとはゆめ思っていませんでした


これからの仕事

いままで会社に行き、いろいろな我慢やつらいことがあったが
四半世紀毎月給料が出ていた。
個人的にかなり業績をあげたときも、逆にテンでだめだったときも、密度の濃い日もたるんだ日も有給を使っても当然ながら組織にいるだけでお金がもらえた。
それらをすてて自由人になったわけで、なにも強制されないし、何の指図もない。
そのかわりなにもしなければ一銭も入ってこない。寄る辺のない立場に飛び込んだ。
いい訳をしても誰にも聞こえていないし、そもそも誰も聞いていない。
人に会わなければ逢わないままの日もいまのところしばらく送れる。
それが幸せかどうかといえば、全くわからない。
そもそも人づきあいも得意ではなく、それで営業をこなすのはかなり負荷がかかる日々だった。
これからは何でもできる。
あれもやろう、これもやろう、と通勤電車の中で自己逃避していたものだがいざ出勤がなくなると、何だか途方に暮れてしまって、特に休める必要もない体を必要以上に睡眠漬けにして日が過ぎる。
読みたいと思って買った本はざっと見渡して二百はある。
暖めていた個人でできる仕事のアイディアもハードディスクのあちこちにぽろぽろと散らばっている。
しかしそれがまとまらないまま、時間ばかりずるずると過ぎる。

なんとなく考えていることは以下。
フィジカルなこと・・・手先や体を使った仕事 木工 清掃など
商取引・・・作成物の販売 収集物の販売 ネット・実店舗
相談業務・・・家計関係(一応2級ファイナンシャルプランニング技能士ではある)
音楽・・・ドラムとベースの腕を超アマチュア級までに仕上げたい。
文筆・・・というと大袈裟だか要はブログなど書いたものをネットにアップ
資産管理・・・自分ヘッジファンドによる資産管理と利益追求

思いつくままに並べてみたが、いまは断片となって空中にそれらが無秩序に舞っている状態。

とりあえず仕事にいってその意味に疑問をもちながらあげていた数々の報告書でも給料の一部になっていたが、今書いているこのような書き物は同じく意味がなくても書き続けることで確実に積みあがる何かがありそうに思えて、日曜の夜の特有の憂鬱さから解放されるも、漠然としたもっとスケールの大きい不安を心の片隅にたたえながら心を鎮めるために書いているという次第であった。23


2018年1月22日月曜日

ありときりぎりすと

以前書いた短文です
よろしければお読みください




ありときりぎりすと

幼少からこんな方法でやってきた。
まずは貯める。たとえばお年玉を。例えばバイト代を。集中的にバイトしてそのあとはそれを少しずつ使っていく。すると一日いくらで何日という計算ができる。
学校を出てから二つの職場で働いた。
一つは体をこわしてやめた。
もう一つは四半世紀以上続けた。別に仕事が合っていたわけではない。体調は常に悪かった。
中年にさしかかる頃からアーリーリタイアが常に脳裏にあった。
その後も限界が何度もきた。十年以上そこから耐えた。
そして勤め先は早期退職を募集した。そして私は応募した。
なりたいものがたくさんあった。
しかしそのどれもが生活の糧になり得ないようなものばかりだった。
たとえばドラマー。
たとえば物書き。たとえば、たとえば・・・
長いこと蟻を続けてきた。世の中のしきたりや辛酸も多少は覚えた。
しかし、心は成長しなかった。長いものに巻かれてやり過ごすとか自分を抑えるということがどうしても上手にできなかった。
それは格好のいいことではなかった。
若いまま年をとると世間ではそれを莫迦という。かっこいい莫迦ではない。扱いにくく困った頑固者の莫迦。
莫迦が途方に暮れてとりあえず幼少からやってきた方法でどこまで砂糖を取り崩し、どこまで太鼓をたたくキリギリスでいられるのか。

モニターに妙に頬のたるんだ少年のなれの果てが揺れる。5

現況報告 2018年1月

以下に私の現在の状況を記しておきます
これらの報告やコラムではですますを原則使わないことご容赦ください

資産生活一年生
2017年3月 早期退職優遇制度により早期退職に応募し、職場を中退する。
職場には二十七年間在職 職場では営業・調査・企画・店舗運営などに従事。
もともと、仕事と相性がよかったわけではなく、いつもストレスをためていたため、四十で早期退職を意識、役職定年の五十五を過ぎたら辞めようと考えていたが、イレギュラーに早期退職の募集があり、三年早いが、それに真っ先に飛びつく。
そのまま、投資と資産の取り崩しで生活していこうともくろみ、早すぎる?隠居生活に突入する。

学生時代からかぶれた文学(短文、詩や随筆のような小説ではないもの)のまねごとをしつつ、穏やかにストレスレスに暮らそうと。

一夏を過ぎ、ある日、日経平均を観察していてふと、投資信託を担保とした日経平均の指数取引、日経平均ダブルインバースETF(日経平均が下がると、価格が二倍上昇するETF)に手を出す。

はじめは小遣い稼ぎのつもりで遊んでいるも、2017年9月半ばからの日経平均上昇に伴い、戻りを意識した取引を本格化、そこから、10月の怒濤の26連騰のさなか、ポジションを積み上げて一時期含み損が一千万円を越える。

そのため、当初もくろんでいた資産取り崩しと毎月分配投資信託の分配金による生計成立に暗雲が立ちこめる。

同時期、ストレスから長年服用していた薬剤の断薬を試み、離脱に苦しみつつもなんとか一つの薬剤の断薬に成功

12月、ネット上での居場所を求め、ツイッターを開始
ブログを始めようとしていたが、その前哨戦の意味合い。

年が明け、一月半ば、加速する資産の減りに突如猛烈な恐怖感を感覚。猛烈な抑鬱状態に陥る。

不眠と恐怖のさなかあらゆるネットサイトを検索、資産単純取り崩しによりかつかつの貧しい生活に突入するか、再度、就労を試みようか、と身悶えしもがくも、1月20日、ふとした思いつきから、その問いに対しての答えのようなものの明光が見え始める。

投資歴十三年。負け続け。主に個別株、FX、指数の信用取引で損失。総損失額はおよそ2500万円。

学生時代にユリイカ、現代詩手帖、早稲田文学、抒情文芸といった雑誌に投稿、入選
本名で著書二冊。
その後約二十五年書くことについては中断 近頃再開。

ドラム歴40年、しかし、そのうちドラム漬けの年数は五年程度。下手。しかし、ここへきてまた練習を開始。あわよくば演奏をアルバイトとできる程度の腕前になりたいと妙な気を起こす。
好きな音楽はクラシックロック 1980年代の日本テクノ・ニューウェーブ系
好きなドラマーはビル・ブラッフォード

妻子あり。就学児。一人についてはもうじき就職だが、もう一人は高校・大学と進学を予定。妻は二十年某企業に勤めた後、以後十年以上専業主婦。

年金受給開始まで、何とか取り崩しと運用で逃げ切ることができるか。

その記録をブログに 
書きためた
コラムを差し挟みつつ。

五十半ばにさしかかろうという隠居には若く、実齢は決して若いとはいえない、無謀な男の人生の記録ということで。

おひまつぶしのお供になれれば幸いでございます

覚え書き

これらの文章は早期退職前の年休消化期間2017年2月頃から書き始めました。一日に三編を目標に書き始めたのは二月中旬から、そしてほぼ平日はそのペースで書いています。ただ、サーバーの準備や、いろいろな設定含めて、公開が開始が今になったことを付記しておきます。その間、つけていた相場の記録はある程度のちほどまとめてアップしますが日付は当然過去のものとなります。後出しで今過去のことを書いておりませんことお断りしておきます。自分の備忘録としての目的と同時に、何かのヒントやお役立ちになれれば幸甚です。231