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2018年2月2日金曜日

80年代Jニューウェーブ回想と書き物その1

読むから書く

もともと書き物はバンドでのオリジナル曲の為の歌詞を考えていて始めた。
よく授業中につらつらと月並みな言葉を並べた。
当時音楽シーンではパンクが大流行していて、日本でもその流れで、商業音楽とは一風変わったムーヴメントが起こっていた。
東京ロッカーズ、テクノポップ。
とくにテクノの方に惹かれた。
姉の影響でプログレッシブロックに親しんでいたので、当時のスーパー楽器であるシンセサイザーなどが最高にかっこよく思えた。
テクノ御三家(いつも思うのだがこの御三家っていう言葉はテクノには全く似つかわしくない。松平?)といえばプラスティックス・ヒカシュー・P-MODELという3バンドをさした。
YMOは別格だった。
三バンドともコンセプトは全く別なのだが、シンセサイザーを使い、ピコピコしている点でくくられた。
プラスティックスが一番ポップでおしゃれな感じと思われていたのではないかと思う。
四人囃子の佐久間正英がシンセを弾いていた。
ヒカシューは歌詞に知らない言葉がたくさん出てきて知的、当時の自分の言葉で言うと「頭良さそう」に思えた。
レトリックとか、エゴンシーレとか、何それ、でもかっこいい、と言う感じ。
しかしやはり一番しっくりきたのがP-MODELだった。
ものすごくスリリングで危ない感じがする音楽だった。
人間のピートに機械ビートを重ねたり、スパンとはじけるピコピコサウンドや、ストーカー心理を思わせる危ない歌詞が当時の都会派と思っている田舎の高校生の心をしっかり鷲掴みにした。
当時、銀座にオーディオ会社の無料ライブ会場があって、そこで生で見た。
ギター兼ボーカルの平沢進氏はどんなにエモーショナルで激しい動きをしても全くリズムが狂わなかった。
動きはダイナミックでテクノ=静のようなほかのバンドとは正反対たった。
ステージの時間が決められていたのだろう、少し早く終わってしまったようで「何かリクエストありますか?」と平沢氏が呼びかけ、「トップシークレットマン」(プラスティックスの曲)と叫ぶとその一角の他の観客から笑いが漏れたが、平沢氏からは無視された。
当時の自分は今、叱っておいた。 

次回へ続きます

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