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2018年2月3日土曜日

80年代Jニューウェーブ回想と書き物その2

前回から続きます


ほかの人が「美術館で会った人だろ」をリクエストすると「今日はリズムボックスを持ってきていないのでできない」と答えていた。
その後も何度か観に行った。
すっかりそれた。話が。
というのも平沢氏の歌詞は風刺的で意味不明の語彙も多く(たとえば「二重思考」という言葉が何度か出てきたが辞書を引いても意味が分からなかった。額面通りに受け取れば本音と建て前みたいなことかとも考えられたが、文脈の中ではよく分からない)なんだか分からないけどかっこいい、と言うのがひねくれものの心情にぴったりとマッチしたのだ。
そして、もろに影響された、といよりかぶれた歌詞を書き殴っては悦にいるというありさまであった。「よく分からないものが好き」というのはここから来ているのかなぁと思う。
その後、全く書き物が興味の対象からはずれて、いろいろして、大学に入ると、自分の基礎教養の無さ、無知さが周りとの会話からぐりぐりと感じられ、一日一冊、本を読むことに決めた。
当時、三冊百円の古本を売っている古本屋がいろいろなところにあったので、手当たり次第手に取ってみたが、結局詩集とか短編集とか、薄く短く読みやすそうなものばかりしか読まなかった。
ランボー詩集など読んだ。私小説、志賀直哉など読んだ。
すると周りがいろいろな本を勧めてくれ、それらを読んだ。作家志望の先輩がいた。
その人は不条理とか前衛みたいなものが好きで、シュールレアリスムなんてのもあるよ、と教えてくれた。結局大学一年の後半から三年に至る間に「谷川俊太郎」から「アンドレブルトン」に飛んだ。
読めば書きたくなった。
読んだら書いた。
書いたら読んだ。
自分は人とは違う、という月並みな特別感に酔い、その悪酔いはさめつつも未だにぶり返しては人生をこじらせにかかる。
ここまで来たらぐずぐす風邪を暖めてつつましく暮らしていくか。

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しばらく前の文章ですが、確かに自分は人とは違う、人と違って大馬鹿だと、無謀だと気づかされている今日この頃です

この話題
おわり

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