いつか自然豊富な田舎に移住したいと思っている方、多いと思う。私も、緑に囲まれた暮らしにあこがれる。もっとも私の場合半ば緑に囲まれているので、中途半端に町場だが、まあ、間をとって良しとしているところもある。移住の場所としては山梨が人気だそうで。住んだことがないと分からないと思うが、冬は零下、ざらですよ。寒い。夏、涼しいかと言えば、標高が高ければ涼しいです。でも、冬、零下。寒いと言うことは、暖房代かかります。結構生活費がかかる。物価は決して安くない。人間関係も煩わしそう。まあ、田舎はどこでもそうだろうけど。私は、田舎暮らしをするのなら、断然千葉県だと考える。千葉県で、三十年仕事をしてきて、つくづくそう思う。理由は、東京になんだかんだ言って近い、ガソリンが日本一やすい、気候が温暖、土地が平坦、どこにでもコンビニがある、海も山もある、空気がいい、気取らない、半島は山梨並に田舎しかし冬寒くない、海沿いは魚が新鮮、場合により貰えたりする、野菜などを少し作るのにやりやすい、道の駅でやすい野菜が買える、作った野菜を道の駅に卸せる、ネットがつながる、などなど。できれば、私もそのうち、捨て値の土地を買って行き来したいと夢見ているが、これから土地の値ももっともっと下がるだろう。千葉の地方の衰退ぶりはこの眼でしっかりと確認してきた。九十九里あたりの少し内陸、外房、その辺が入門としてはいいのではないだろうか。
Translate
2020年6月30日火曜日
あこがれの田舎暮らし
2020年6月29日月曜日
いつからヤメを意識したか
四十歳で人を使う立場になった。そのころから何となく違和を感じていた。それから十二年最後の方は違和感に圧倒されて、ほとんど押しつぶされていたので職場にとってはさぞかし失礼な存在だったろうと思う。しかし、表向きはそれを悟られないように努力した。その努力が仕事の数倍精神的にきつかった。ただ使われて仕事や上司のぐちを言っている方がどんなに楽だったか。数字という蓑も被れたので、上司などほとんど気にしなかった。それが、自分がその立場になりそういう態度をとられることもあり、ああ、因果が回るなあ、と感じた。職場には一定年齢での早期退職制度があり、最初は四十五歳以降の四月。ここで、自分の大まかな退職金の金額を知ることができた。また、リタイヤには難しい金額だった。そのころ、よく将来の資産のシミュレーションをした。保守的な計算だったが、五十五歳時点ではとんでもない金額の計算が仕上がった。その後の推移はやはり、そんな空計算の通りに行くはずもなく、損したり、あがったりでなんとかやってきた。次の早期退職年齢五十歳の翌四月には金額がぽんと示されただけで、その金額はほぼ予想通りではあったが、まだリタイヤには心許なかった。しかし職場はこんな金額だけの通知で、とくにこの年回りの人員をやめさせるつもりは無いのか、と思った。その一年後、特別な早期退職募集となり金額的に想定額を上回ったので思い切って辞めたというわけだ。この時点で、シミュレーションした資産と実際がほぼ一致したのだ。そして勤め人生活にさよならした。これからのことはどうなるか分からない。
2020年6月28日日曜日
退職金振込完了
4月末日に企業年金からの退職金が振り込まれ、手取りできる物はすべて入ってきた。その際、計算して当て込んでいた金額と振り込まれた金額が著しく違っていたのでかなり焦った。一番気をつけていた計算違いをやらかした。この間、見積金額や生活費の見込みなどはからくからく行ってきたつもりだったが、最後に勘違いでやらかしてしまった。もうひとつ誤算は税金の計算の解釈だった。企業年金の税金に関して、解釈を違えていたようで、当初計算と見込みを違えてしまった。早期退職の退職金は思わぬ重税となる。しかも減らす手だてはほとんどない。これからどのようになるのか分からないのに、また、いままでも軽くない税負担をしてきたのに、なかなか渋い状況ではある。国民の義務なので仕方がないが、国や地方自治体が国民に対してすべき奉仕をきちんとしていただけるものかどうか。最近いろいろと雲行きが怪しいようだが、きちんと制度に従い、納める物は納め、納めなくていい物は納めず、制度はフルに活用し、公からの奉仕はありがたく受けたい。
2020年6月27日土曜日
6/26の投信保有状況
2020年6月26日金曜日
四角いドラム
いつもは朝の六時くらいから断続的に十一時くらいまで、書き物の時間に当てている。テレビはつけっぱなし、子供たちは学校へ行くためにばたばた、ひとり定位置でかしかし打っている。いま、十二時前、すでに昼食はすませた。かけそばと卵焼き。ここで酒好きの人ならば一合ばかりガソリンを入れておきたいところだろう、と妻に話したら、そういうのが面倒で女の人は表に出てしまう、と言っていた。女は連むのが好きだから、と。男は組織から離れたら孤立。何かの会合で男同士が話す内容とは。おそらく現役時代の仕事のことや、すぎた昔のあれこれや。興味ない。最近、昼もマンネリ化してきた。インスタントラーメンが好きで、毎昼食それで構わないと思っていたが、すぐに飽きた。そして、今はそば。和風の濃いつゆの味に慣れてしまいつつある。塩分過多。よくない。温かいかけそばを食べ終えて少しからだが熱くなった。食卓を明るくする吐き出し窓をいっぱいに開いてみる。今年は梅雨に入っても例年に比べて蒸し暑くなく過ごしやすく感じる。下階の占有庭に植えられた桜が気のせいか去年よりも葉を蓄えて、てんでにうなづくような揺れかたをしている。そこからだろうか湿った植物の匂いがかすかに網戸ごしに感じられる。ここのところいつも出かけようと言う昼過ぎの時間に空模様が良くない。どんよりとして外出を億劫にさせる。外出にも目的があるわけではない。歩かなければ健康によくないというかすかな引っかかりを気にしているだけだ。かつて、日本の小説の主流は私小説だった。何気ない日常をありのままに書く。あるいは波乱の生き方を記録する。わざわざネタをひねり出すように破滅的に生きた作家も何人もいた。酒、借金、極貧、病、不幸。いずれも幸いにして今のところ無縁だ。そのような日常は私小説たり得るのだろうか。もしも私が書くならば題名は「四角いドラム」。メモを取っていた。四角いドラムを見たことがない。皮を張るのが難しいからだろう、と括弧書きがしてあった。
2020年6月25日木曜日
小さな悪意
小さな悪意と言う物を感じることがある。駅を歩いていてわざと強めにぶつかられる。なにくわぬ顔をして何事もなかったように通り過ぎてゆく。別にごくふつうのサラリーマン風の人間。私の何かが気にくわなかったのだろう。しらを切ってわざとじゃない、と言えば済むとおそらく思っている。たとえば、私が、ふつうのスーツではなく、明らかに少し毛色の違う、毒を持つ蛾だよ、と言った格好をしていたとしたらおそらくそういう目には遭わない。小さな悪意を持った人は社会に普通にいて、むしろ、普段は職場においていい人と目され、頼りにされていたりしそうだ。しかし、ひとたび時と場所が変われば底意地の悪さを発揮する。小さな危害を見ず知らずの他人に与えてくる。どのような次第でそうなったのか、また、一時的にそうなった物なのか、それとも知らないうちに私の方がその人に不快な思いをさせたのか、そこのところはおそらく解明されることはない。ただ、かなり、それらは不快だ。そこから諍いとなり、警察沙汰に発展すると言ったことも実際に起きている。おそらく、誰も得をしない小さな悪意。やった方がしてやったりと快感を得ているとしたら、その人物は邪な心情の持ち主だろうが、そういう人は確実に存在する。先天的なものか、何かがあってそうなってしまったのか。まあ、私の知ったことではない。
2020年6月24日水曜日
家庭カレー
家庭カレー
先日、妻の作ったカレーがおいしかった。あきらかにいつもよりうまい。何か細工をしたのかと思って訊ねたところ、ヱスビーゴールデンカレーの甘口と中辛を使って、そのほかはトマトケチャップとめんつゆを少し入れただけとのこと。子供には少し辛かったようだが、後味にほんのりと昔カレーの記憶を感じた。ああ、やはりヱスビーなのだ、と思った。誰かも言っていたが、カレーは箱に書いてある通りに作るのが一番美味いのだ。足し引きは最小限で。そしてあの、昔カレーはヱスビーなのだとも確信。その後妻がポトフを作った。余ったものをカレーにして食べたが、先日のカレーとまったく別物になってしまった。コンソメの塩気が勝ってしまい、塩辛い。甘くしようとケチャップとリンゴをすり入れたが甘みが埋もれる。ヱスビーゴールデンカレーの甘と赤缶のヱスビーカレー粉。しょっぱいので後でやたらのどが渇く。塩分にはもう気をつけていなければいけない年回りなのに。その後、二日にわたり朝カレーにして食べきった。具材が溶けて、カレーがふわふわとした感じになっている。これがいい人もいるかもしれないが、飽きるし、カレーはやはり二日目までかな、と思った。
2020年6月23日火曜日
あやまり
誤り、謝り。誤りを謝る。何をや。いろいろな場面で謝罪の機会が降ってくる。自分が悪いときもあれば、人がしたことを代わりに謝る。いろいろな謝罪を行ってきたが謝罪には自信がある。謝罪のこつはただ一つ、心から謝る。謝罪心の固まりになること。一つ間違うと訴訟沙汰になりかねない部署にいたことがあったが在籍期間一度も訴えられなかったことは数少ない自慢の一つだ。
謝りに自我は不要。相手に申し訳ないと本当に思う気持ちだけ。しかし知性は必要。謝りにはたいてい相手の主張をはねのける任務がセットとなっている。謝りつつこちらの主張は通す。最大限被害を食い止める。最高の知的作業。評価されない最重要任務。
かんかんに怒っている相手と最後に笑顔で握手して別れる。そんなこと数え切れないほどあった。むしろそれができない時は敗北感を味わう。しかしいずれにしても心は芯から疲れる。やさぐれる。私は酒を飲まないのでどのように憂さを晴らすか。特に晴らさない。日が過ぎ、忘れるのを待つだけ。
数限りない醜い罵声を浴びてきたがいまはもうほとんど思い出せない。何も心に残っていない。つまり心はなんのダメージも受けず別に美しいわけではないがとくに汚されないままでは居れた。
2020年6月22日月曜日
あいつはおれより
あいつは俺より仕事ができない。あいつはこの係の足でまといだ。不況で経営が厳しくなってきた。仕事は減っている。人は余っている。でもクビにはできない。労働組合が黙っていない。あいつのせいで仕事がうまく回らない。みんなが迷惑している。あいつと俺の給料が同じ?このままでは資金繰りがうまく行かない。全員の給料を下げるか。
給料があがらない。何とかしてくれよ組合さん。あいつのせいで仕事が滞る。どうにかならないか。組合さん。組合さん、このままだと会社がつぶれてしまう。組合さん、あいつのせいで給料が上がらない。組合さん、人を切るか、みんなの給料を一律に下げるか。組合さん、なんとかしてくれよ、仕事できないやつと給料同じだぜ?
1995年ぐらいからどうなっていったか。能力主義の台頭と雇用。たくさんのひとがいなくなり、しかし労働組合は結局残った。
その様子を近くで見ていた。3
2020年6月21日日曜日
6/19の資産配分
6/19 保有投信状況
2020年6月20日土曜日
エンゲル係数
我が家の係数が上がっているらしい。私が昼食を家でとるからだ。米も今までの量では足りなくなって、途中で買い足ししなければならないようだ(なお、我が家は生協で定期購入している。地震の際もきちんと届いた)。妻だけのときは本当に簡単にすませていたようだが、それで満足しない私はいちいちどこかしら手をかけたがる。それに関して私は家計簿をつけて信憑をみせろというのだが、食費がかさんでいるのはだいたい理解できる。いままでは自分の小遣いでやりくりしていたのだから。そこで対応方法は二つ考えられる。ひとつは昼食代を別に渡すか。もう一つは何らかの費用を削減するか。その費用は私の小遣いだろうか。それは別運用別管理としているので、妻はいくらか知らない。というより、資金管理は私がしていて、妻には生活費を渡す形をとっている。いくら渡すからこれでよしなに。しかし当然のことながら小遣いは減らしたくない。といっても、勤めにでているといろいろ雑費がかかるが、今はほとんどそのような出費がない。従って減らそうと思えば減らせるが、人情として減らしたくない。何かの時にはそこから家計出費もまかなうのだから。そして今、ほとんど使うことのなくなったスマホのプラン変更を検討している。場合によっては一家で今より九千円ほど安くなりそうだ。となれば一年で十万円削減。大きい。しかし、私の昼食が300円かかっているとすれば行ってこいでパリティ。私も平日の昼は卵かけご飯に統一するか。これからの運用次第か。218
2020年6月19日金曜日
イベント
うまくいって当たり前、失敗したら矢の非難。その最たるものがイベント。
イベントと言ってもいろいろある。セミナーの様に学習的なものからレクリエーションとして顧客やその家族を招いての日帰り旅行や演芸会など。会場を押さえるところから始め、誰を呼ぶか、何人集めるか、予算はいくらか、段取りを組んでいく。段取りを組んだとしても必ずと言っていいほどその通りには行かない。急遽発生するいろいろな事態が開催者をおそう。自分も開催者のくせに上司がもう今更どうしようもないようなことに口を挟んでくる。持ってくるものを忘れた。資料を見て、並び順が変だと300部すべて全部組み直し、席順が違う。急遽百円玉が30枚必要になる。講師が遅れている。題字の名前が違っている。連絡がうまく行ってなくて席が大幅に足りない。このようなときはどうするか。
どうするんだ、という文句が出ようものなら、こちらだって起こそうと思ったトラブルじゃないと振り返りざまビンタの一つもくれたくなる。そのようなイベントを重ねてきて思ったのは、人に任せても必ず最終チェックを行う。思いついたことはすべて可能性としてつぶしていく。窓口を複数作らずできる限り一つに絞る。何が起ころうとも慌てふためかない心構えをしておくなどである。
人は同じものを見ていても同じには見えていない。自分ではいいと思っていても人がそう思っていないこともある。万人を満足させる完璧なイベントはできなかったかもしれないが、回を重ねるにつれ、それに近くなっていったと自分では考えている。それは売り上げに結びつくとは思えなかったが仕事には役立った。プライベートではどうか知らない。7
2020年6月18日木曜日
たばこ
煙草をやめて十七年になる。
未だに夢を見る。
いつの間にか、煙草を吸って、いっぽんにほんならいいか、と言い訳しながら激しく後悔する夢。
一本、試しに吸ってみたらおそらく元の黙阿弥となるだろう。入院して吸えない環境に置かれた。そのまま何となくやめてみて現在に至る。
あれからずいぶん煙草も値上がりした。それまでは一日に二箱は吸っていた。そういえば当時はパチンコもやっていた。おもにその景品で、カートンで入手していた。かなり高い煙草になることもしばしばだった。
はじめての煙草は、とても空気のいい高台の雑木林の中だった。鼻から抜ける呼気の煙の枯れ草の燃えるような少し刺激のあるいい匂いはいまでもそのときの光景とともにありありと思い出せる。吸いなれるにつれてその香りは単なる臭いとなり、惰性の習慣となっていった。吸うのが早かった。一度にたくさん吸い込むので煙も多かった。当時の自分と酒席で同席したら耐えられない。
2020年6月17日水曜日
財テク
バブル時代、金利が上昇し、ただ銀行に預金するだけで5パーセントぐらい利息が付いた時代、老後とか貯蓄とかとともにかっこわるいと思っていた言葉が「財テク」だった。当時、中期国債ファンドという金融商品があり、何の仕組みもわからず、冗談で親にやってみたら、と勧めたら一週間もしないうちに300万円ぐらいやっていて驚いた。自分ではやらなかったのに親に勧めて・・・結果バブルがはじけてから相当な利がついて満期を迎えたはずだ。私はといえば、別にケチる訳でもなく、派手にお金を使う趣味も無かったので、余った給料はそのまま普通預金に入れてあった。ある程度溜まって使う予定が特になければ一年ぐらいの定期預金にしたり、銀行に勧められるまま貯蓄預金というものにしてみたりした。それでも、勝手に利がついて、何もしなくて元金が増えた。これも「財テク」なのだろうか。もっともそのころはパチンコにどっぷりはまっていて、利の分など瞬く間に吹き飛んだ。のめり込む、熱くなる性格は今よりも度か強かったので、サラ金にこそ手を出さなかったものの、何度もATMに種銭を補充しに走ったものだ。35で結婚するまでそんな感じで、40になりあれほどかっこわるいと思っていた「財テク」に手を出し、そこから10年強を経て、「財テク」の種銭を追加するために勤めを中退した(定年の人が挨拶しに来たとき「卒業」といっていたのでならば私は「中退です」と返した)のだから自分ながら考えが変わるなぁ、とあきれる。しかし、度こそ弱まったものの「熱くなる」性格変わらず。短所は一貫してぶれずに変わらず。
2020年6月16日火曜日
世代間戦争
2020年6月15日月曜日
残業について
そもそも、仕事を副業と考えていたので、残業は時間の無駄としか思えなかった。正直、おつきあい残業もあった。総残業時間の四分の一ぐらいか。残業をしない仕事に全霊をかけていた。そしてそれが出来る職場だったと主観だが思う。それなりの成績は残業をせずともあげてきた。ただ、私がしなかった残業の分が誰かの仕事のしわ寄せになっていなかったとは言い切れないので、残業の多い人を非難は出来ない。事実としては、残業が少なかったので、多い人よりは給料がグンと少なかったこと。これだけは言える。残業の時間、緊張感のない、たゆんだ時間、別に友人でもない職場の人間と遅くまで机を並べる時間が本当にいやだった。好きで残業をしているわけじゃありませんよ、本当は早く帰りたいですよ、と誰もが言った。残業は人についてまわるとみんなが言っていた。しないひとはしない、するひとはする。これは自分の居た職場だから言えることだったかもしれない。転職してきた人間は、なんて楽な職場なんだろう、と口々に言っていた。私も前職に比べて格段に楽だと思った。しかし長年いるうちに慣れて、他の職場の事をうまく想像できなくなっていった。しかし、つけない残業というか、残業に含まれるかどうかという微妙な時間、たとえば、始業前の仕事の段取り(私の場合は朝起きたときから出勤時間含め仕事段取りの構築で頭の中がいっぱいだった)などは脳内残業なのでつけられない。医学的所見のない疼痛症のようなもので、記録できない。仕事は副業と考えていても、いつも心の中に残した仕事や懸案が決して少なくない割合で場所をとっていたが、それは給料をもらって働く以上誰でもそうだろう。そのようなことを考えると、仕事が人生の大半の時間を使い、仕事=人生となる、またはそう思わなければやってられないというのはもっともな話だ。私はそうは思えなかった。それなりの仕事はしたと思うが忘れてしまった。そしてもうそれなりの仕事をしていく自信も気力もなくなった。別の事で勝負したくなってしまった。会社はそんな人間を出したいと考えた。思惑が一致した。こうして残業も、副業も趣味も休養も本業もごちゃごちゃの無秩序な世界の入り口に入った。
2020年6月14日日曜日
家計改善
家計改善に効果を発揮する一番顕著な物と言えば保険の見直しと思う。盛んに保険を見直せ見直せとCMが流れる。そもそも保険はそれほど必要な物なのだろうか。私自身、入院をして保険金をもらったことが二回ある。子供もけがで保険を受けたことがある。しかし、もらった保険金はどのように使ったか忘れてしまった。私が想定する月の掛け金額は最大でも家族で二万円だ。そのほかに火災保険と自動車保険が必要だ。今は自分で組める保険などいくらでもある。ネットで手続きも完結できる。ただし、保険を掛け替えるのは本当にめんどくさい。今までの物をやめる。新たに入り直す。その手続きに丸一日は確実にかかる。それを無知識から自分で選択し手続きし直しなんて、とてつもない労力を要しそうだ。それゆえ、訳もわからないうちに若くして加入した保険に、月に五万円も払っている人が私と同世代には多いのだろう。面倒でやらない、ということはたくさんある。たとえば、私はインターネットのプロバイダの乗り換えに一回失敗し、つながらなくなったことがあるので手を着けるのをやめた。それによる最安との差はおそらく年間二万円程度だろう。保険の場合は見直しで10万単位の年節約も大いにあり得る話だ。めんどくささと金額を天秤にかける。私の場合はその金額なら面倒さをとると思う。しかし私は若い内にとうにその対策はしてしまったので、削れる物も限られている。外出の減った分、スマホのプラン見直し程度しか固定費を削ることができない。その分投資をがんばって入り口を増やせればいいのだが。65
2020年6月13日土曜日
シルキーパープル
シルキーパープル
ヤマハのドラムセットYD9000は未だに高い人気を誇っている。ジャズテイストのインスト音楽がクロスオーバーと言われた時代の代表的なドラムの音がこのセットだ。
私は「ネイティブサン」というバンドのドラム音でYD9000を認識しているが、それはジャケットにその木目カラーのドラムセットが写っていたからで、実際のレコーディングでは違うドラムが使われたのかもしれない。が、おそらく村上ポンタ氏はヤマハと当時エンドース契約をしていたと思われるので実際にあのリアルウッド(木目カラー)のセットを叩いていただろう。
当時音楽スタジオにおいてあるセットはみんなそれだった。シンバルはジルジャン。それがその時代のスタンダードな音だった。
そのYDは9000、7000、5000、3000とシリーズがあり、数字の多い方が高い。そのなかで9000と7000にだけ設定されていたドラムの色がある。それがシルキーパープルだった。
ヘアラインフィニィッシュという線を細かくひっかいたようなカバリングが当時はやっていたのだがヤマハではそれをシルキーと言っていて、シルキーブルー、シルキーブラック、シルキーブラウンなどに混ざって設定されていたのがそのパープルだった。
パープルは高位モデルの象徴であり私のあこがれの的だった。高校のけいおんでは各バンド、同じドラムを使う。当時の3年にお金持ちのぼんがいて、シルキーパープルのセットがあった。9000の方だった。バスドラムのリムが木製なのが9000。またラグ(当時舟形と言った)の形も違う。シンバルはパイステのフォーミュラ602だった。プロと同スペック。当時私は自分のベニア板のセット、パールのモダンジャズというセルロイド下敷きのような柄の20インチバスドラムのセットを持っていて、それを自分が最高に叩きやすいように改造していたので、音はともかく、その9000のセットは叩きにくくて仕方なかった。
先輩が卒業するときドラム一式を同級生のY子がたしか十万円で譲り受けていたと記憶している。Y子さんは途中から軽音に入ってきて、ドラムは全くの初心者だった。私は中学から叩いていたので頼まれてドラムの手ほどきをすることとなった。そこで、何かが芽生えるかと言えば全くそんなことはなく、そもそも、彼女はエイトビートを30分程度で叩けるようになってしまった。
それからは負けん気の強い彼女は、自分で練習を重ね、一ヶ月程度で普通に叩けるようになり、その後もめまぐるしく上達していくのであった。
ただ、叩く姿勢が私に似てしまい、彼女のバンドのメンバーから後でさんざん文句を言われた。
2020年6月12日金曜日
ウクレレ商会
ウクレレ商会
集めたウクレレが五十本程度。高安まちまち。
かつて日本にはハワイアンブームがあったらしい。いろいろな楽器メーカーがこぞってウクレレを売った。ヤマハ、カワイ、スズキ、ルナ、ピアレス、ビクター、その他。材質もまちまち。マホガニー、メープル、コア、ローズウッド、ラワン、ナトー。昔の楽器は今よりもいい材質を使っていたと言うがどうだろうか。合板(つまりベニヤ)の技術が確立されていなかった分単板(一枚板)で作られているため音がいい、というのは本当だろうか。確かに音がでかい。しかしそこはウクレレのこと。近所迷惑になるほどではない。
ウクレレの音を擬音すると「コロコロ」とよく言われるが、おそらく半世紀は壊れず、生き残ってきた楽器、カラコロと乾いた音が心地いい。塗料も昔ならではのラッカー。剥げもまた味。傷もしかり。
誰がどのように新品で購入し、ここへ吹き溜まり付いたのか。古物にはその来歴がどの品にもあるのだろうが、それを気持ち悪がる感性はない。ちなみに死後の世界も幽霊も全く信じない。いても見えない。
そんな人間だがウクレレをいつか商いたい。小さいので場所をとらない。重くない。つり下げられる。試奏も可能。価格帯は特別な物をのぞいて三千円から一万円程度としたい。全部売っても最大三十万円。
売り切る期間は見当も付かない。ウクレレ商会。ただいま諸々準備中。11
2020年6月11日木曜日
つゆで食べる
つゆで食べる
明石焼きというのはだしにつけて食べる。たこ以外具のない玉子がちなふわふわの生地で、大阪で初めて知った。ではお好み焼きはつゆで食べてはいけないだろうか。
お好み焼きは野菜のつなぎ程度に粉をつかって緩く焼くのが好みである。キャベツに揚げ玉私はみじん切りのタマネギで甘みを足す。玉子は生地に混ぜてもいいが片面を焼いているときに割りおとしてもいい。
2020年6月10日水曜日
クレーマー
クレームの多い業態であった。いや、どんな業態だろうとクレームは付き物だろう。
クレームは正当なものであれば当然真摯に対応しなければならない。そのくらいの倫理観はある。
しかし、書いてある文言をおれのいうとおりに直せ、なおしたものを持ってこい、などとパンフレットの記載について言われたりすると、どうにもならない。
それを作り直すのにどれだけの費用と時間がかかるか。思い通りにならない、あるいは無理と相手が承知で付けてくるクレームというのはどうしようもない。しかし、近頃、そういったクレームについて、少しずつ意識が変わってきている様に感じる。
客とサービス(物品含む)提供者の関係が対等なものへと是正されてきつつあるのではないだろうか。過剰要求には断固とした態度をとる。(ただ、要求が過剰かの線引きは難しいし慎重を期されなければならない)あるいは、いずれ感情の絡まないロボットが接客をする時代になる。
いままで過剰要求をしてきた、それが目的化していたようなひとはサービスからはじき出される。はじき出されないためには、過剰要求をして余りある利益をサービス提供者にもたらさなければならない。
2020年6月9日火曜日
これからどうするの
これからどうするの
退職の挨拶に行くとかならず聞かれた。これからどうするの。答えるのが非常に面倒だ。
相手はいろいろと聞きたいだろう。何があって辞めるのか。どうやってこれから食べていくのか。興味を目に宿らせて、前のめりに聞いてくる。
適当に答えておく。人により答えが変わったりする。しかし、とある会社の社長にインターネットで商売をする、と答えたとき、ネットは相手の顔が見えないから気をつけたほうがいい、いろいろな人がいるから、と返され、なるほど、と思った。
ネットオークションで何百もの取引をしてきたが、いままでは落札のみだ。トラブルになったことはほんの数えるくらいしかない。しかし、それは私がおとなしい落札者だからだろう。
ネットオークションの場は荒れた。確実に以前と比べて。
不特定多数の中に紛れているある種の人間の怖さをよく知っている。となれば、やりとりは面倒だが対面で行ったほうがいいかもしれない。
共通認識はともすれば人の数だけある。話の通じる人と取り引きしたい。
話がそれた。で、これからどうするの、の本当の答えはこうだ。
投資で食っていく。
2020年6月8日月曜日
デイキャンプワーカー
キャンプ
ソロキャンプという一人でいくキャンプ。その動画をよく見ている。連続再生にしてかけ流している。
水の近く、山奥、雪の中。いろいろなところにテントを張って寝泊まりしている。自分でもしたいと思う。が、実行に移す根性はまだない。面倒だ。
しかしキャンプ的生活の必要に迫られる可能性がだいぶ高まってきている。住居も分散すべきかもしれない。そんな大げさな話ではなく、家での作業も煮詰まってきた。とくに文章をものす、といったことに関してはどこでもできる。
晴れた日には河原に行って陽を浴びながらあれこれするのはどうだろう。そう思いアウトドアチェアとローテーブルを買った。折り畳むとトートバッグに入る。トートにはまだ隙間がある。ポメラ、カメラ、ワンセグテレビ、タブレット、ポータブルバッテリーは余裕でいける。ドラムの練習パッドも小さいものならOKだ。
家での環境が河川敷で再現できる。そのトートを自転車のかごにぼすっと入れて、家をはなれるのにこれからはいい季節だ。
2020年6月7日日曜日
6/5の保有投信状況
2020年6月6日土曜日
現在の資産配分6/5
2020年6月5日金曜日
朝のあいだ
朝のあいだ
五時から五時半の間に起床する。年を取ると早起きになると言うが全くそんなことない。体によくない時間ではないかと思うほど寝起きが悪い。息子は六時十五分には家を出る。妻は四時頃起きている。やや遅れて娘が六時頃起きる。私は早く起きる必要がない。しかし、寝ているのは気が引ける。
というわけで起きるとすぐさま仕事座(何度か言っているコックピット)に座り、モーニングサテライトを見ながら前日のダウや米リート指数、米10年債利回りなどを帳簿につけていく。前日の結果を集計し、本日の動きに備える。といって、短期トレードをするわけでもないので、為替や指数を見ながらどう動こうかと考えたり、今後の推移にもとづく生活のシミュレーションをしてみたり、考えてはすこしキーボードを叩く、という感じで、全くあわただしくはない。
それが終わると、書き物をしたり、日経のメールニュースを読んだり(これは無料なのに見出しだけでもなんとなく情勢がわかるような気になってお得に感じる。一月10本までは無料で記事も読める。またそもそも無料で読める記事もある。私は今後のアメリカの動向に関しての記事を読むことが多い)FBでフォローしている人の投稿を読んだり、まとめサイトのトップニュースなどを確認している。
そして、PCは相場監視用に為替レート、ハイパーSBI(日経平均、1357インバース、東証リート指数、topixを表示)あとは実際にヘッジ用に取り引きしているアイネット証券のループイフダンの口座推移を開けている。
10時ごろまではそれらを横目でみつつ、新聞を読んだり、朝のニュースを見たり、書き物をしたり。中値が出る十時過ぎ、テレビ朝日の「じゅん散歩」が始まる頃までは割合集中して朝のルーチンワークをしている。
本当はこのあたりに散歩など運動を取り入れたいところだが、いまのところ全くそんな気にはならない。しかし、健康のためには絶対に運動は必要なのでいつかは一日五キロ程度の徒歩を習慣にせねばならないだろう。
朝食は簡単にパンなどを摘んで済ましている。そのほかは氷砂糖をかじる。何かを口にしないといられないのは喫煙の後遺症だ。
これはやろうとやるまいと給料の出ることではないので仕事といえるか分からないが、記録は自分でつけてこそ身につくものと信じて、仕事のつもりでかちかちやっている。集中するので結構へとへとになる。