シルキーパープル
ヤマハのドラムセットYD9000は未だに高い人気を誇っている。ジャズテイストのインスト音楽がクロスオーバーと言われた時代の代表的なドラムの音がこのセットだ。
私は「ネイティブサン」というバンドのドラム音でYD9000を認識しているが、それはジャケットにその木目カラーのドラムセットが写っていたからで、実際のレコーディングでは違うドラムが使われたのかもしれない。が、おそらく村上ポンタ氏はヤマハと当時エンドース契約をしていたと思われるので実際にあのリアルウッド(木目カラー)のセットを叩いていただろう。
当時音楽スタジオにおいてあるセットはみんなそれだった。シンバルはジルジャン。それがその時代のスタンダードな音だった。
そのYDは9000、7000、5000、3000とシリーズがあり、数字の多い方が高い。そのなかで9000と7000にだけ設定されていたドラムの色がある。それがシルキーパープルだった。
ヘアラインフィニィッシュという線を細かくひっかいたようなカバリングが当時はやっていたのだがヤマハではそれをシルキーと言っていて、シルキーブルー、シルキーブラック、シルキーブラウンなどに混ざって設定されていたのがそのパープルだった。
パープルは高位モデルの象徴であり私のあこがれの的だった。高校のけいおんでは各バンド、同じドラムを使う。当時の3年にお金持ちのぼんがいて、シルキーパープルのセットがあった。9000の方だった。バスドラムのリムが木製なのが9000。またラグ(当時舟形と言った)の形も違う。シンバルはパイステのフォーミュラ602だった。プロと同スペック。当時私は自分のベニア板のセット、パールのモダンジャズというセルロイド下敷きのような柄の20インチバスドラムのセットを持っていて、それを自分が最高に叩きやすいように改造していたので、音はともかく、その9000のセットは叩きにくくて仕方なかった。
先輩が卒業するときドラム一式を同級生のY子がたしか十万円で譲り受けていたと記憶している。Y子さんは途中から軽音に入ってきて、ドラムは全くの初心者だった。私は中学から叩いていたので頼まれてドラムの手ほどきをすることとなった。そこで、何かが芽生えるかと言えば全くそんなことはなく、そもそも、彼女はエイトビートを30分程度で叩けるようになってしまった。
それからは負けん気の強い彼女は、自分で練習を重ね、一ヶ月程度で普通に叩けるようになり、その後もめまぐるしく上達していくのであった。
ただ、叩く姿勢が私に似てしまい、彼女のバンドのメンバーから後でさんざん文句を言われた。
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