四十歳で人を使う立場になった。そのころから何となく違和を感じていた。それから十二年最後の方は違和感に圧倒されて、ほとんど押しつぶされていたので職場にとってはさぞかし失礼な存在だったろうと思う。しかし、表向きはそれを悟られないように努力した。その努力が仕事の数倍精神的にきつかった。ただ使われて仕事や上司のぐちを言っている方がどんなに楽だったか。数字という蓑も被れたので、上司などほとんど気にしなかった。それが、自分がその立場になりそういう態度をとられることもあり、ああ、因果が回るなあ、と感じた。職場には一定年齢での早期退職制度があり、最初は四十五歳以降の四月。ここで、自分の大まかな退職金の金額を知ることができた。また、リタイヤには難しい金額だった。そのころ、よく将来の資産のシミュレーションをした。保守的な計算だったが、五十五歳時点ではとんでもない金額の計算が仕上がった。その後の推移はやはり、そんな空計算の通りに行くはずもなく、損したり、あがったりでなんとかやってきた。次の早期退職年齢五十歳の翌四月には金額がぽんと示されただけで、その金額はほぼ予想通りではあったが、まだリタイヤには心許なかった。しかし職場はこんな金額だけの通知で、とくにこの年回りの人員をやめさせるつもりは無いのか、と思った。その一年後、特別な早期退職募集となり金額的に想定額を上回ったので思い切って辞めたというわけだ。この時点で、シミュレーションした資産と実際がほぼ一致したのだ。そして勤め人生活にさよならした。これからのことはどうなるか分からない。
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