またぞろバブルの影を喧伝する論調が出てきた。あのころの日本は、まず、土地が狂乱的に上昇した。二千万円で売りに出ていたマンションがどんどん値を上げ、あっと言う間に二倍を越えた。不動産の広告に並ぶ物件は年収の五倍どころか、ローンを孫の代まで払い続けなければならないような価格が並んだ。そして、家を諦めた人々は車に向かった。ベンツのSE、SELといった、四角張って長い全長の車が道にあふれた。またはBMWの角張ったセダン。私には車という動産に大金をつぎ込むその神経が全く分からなかった。さらに、預金金利が十パーセント近くまで上昇し、何年か預けるだけで飛躍的に利息が付いた。その当時駆け出しだった私は、就職と社内でのたまの飲食程度でしかバブルの恩恵を受けなかったが、株などは一晩で月収を軽く越えるほど上がり、とてもまともに働く気にはならないと年長の人から聞いた。マンションを売り抜けて元金が二倍になったという話も聞いた。日本人は刹那主義だ。やるときはやる。突き進むときは進む。みんながやるならこぞってやる。バブルは日本刹那主義の開花だったのだ。そこまでのバブルはアメリカのダウチャートをみる限り来ていない。ドイツもまた然り。世界が日本のバブルのチャートのような動きを再現することはあるのだろうか。日本は、やるとなったらイケイケでその場のことしか考えない。長期的な戦略より、その場の利を重んじる国民性か。そういう意味では日本などまだバブルのバの濁点までも火がついていないし、一度、火がついて燃え尽きているので、その世代が居なくなるまであの狂乱は二度と繰り返されないかもしれない。ただ中に居るときはそれがバブルなどと気づかないことはさんざん言われてきたことで、それは私にしても踊ろうと足を出すか出さないうちにバブルはすでにはじけていたので、実感無く過ぎ去ってしまっていた一時代の記憶にすぎない。
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