写真のよしあしがよくわからない。技術的なことはもちろん、本になっていたり、SNSに載っている写真などは、みんなよく思えてしまう。しかし、被写体がたとえば、桜とか富士山とか夕焼けの湖などになったとたんに点数が辛くなる。誰が見ても美しいと感じられるような物については素直になれない自分がいる。この場合、写真に閉じこめるよりも自分の目に閉じこめてその記憶を味わう方が実になるような気がする。しかし、自分でもそのような被写体はおもわずパチリとやってしまうのでひとをとやかく言える筋合いではない。写真は機械が介在するのでどうしても機材頼りになるような気がして仕方がない。写真には写真の道があり奥深く極めるのは容易ではないのはわかるが、素人はつい偶然にいい写真が撮れてしまうのではないか、と甘い考えを抱いてしまう。何も知らない方がよかったりするかもしれない。奥深さに気づいたとたんに愕然とし萎縮してしまい、写真がこざかしくこじんまりしてしまいそうだ。そうなるとイノセントに戻るのはむつかしい。その、イノセントがよかったのかだめだったのかは別としてはじめの方がましだったということはよくあることで。
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