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2020年7月21日火曜日

相場の座学

相場の座学

 

受験勉強では、手を使って主に要点をまとめてわかりやすく頭の中に収めるような作業をした。私立文系の勉強は主に暗記力で乗り切るような試験問題だったので、英単語を覚え、イディオムを覚え、文のつながり方を覚え、漢字の書き取りをして、様々な経済政策や、その考案者、また、権力の構造や、どのような法律によりなにが規定されているのかなど、参考書をとにかく読んで書き、指にペン蛸を作ってひたすら書きまくったものだ。その挙げ句があの大学かい? と言われるとまあ、返す言葉はない。高校二年までは受験に備えて、全く勉強という物をせずに朝から夜まで学校や友達の家や、夜の田舎町や都会をうろついて、とにかく目新しい体験を求め続けた。その体験はどのように自分の実になっているのかは知らない。ただ、当時も、同じ様な若い奴らが町中にあふれていた。と感傷はこのくらいに、あの頃のような勉強を自分でテキストになるような物を考えながら、自分で素案を作って、自分でわかりやすい表にして、自分でペン蛸ができるほど指腕で脳味噌にたたき込んで、実践の相場の勉強を地味に始めていくしかないかと感じている。受験勉強が大学合格というインセンティブを受けるなら、相場の勉強は、相場の儲け、というインセンティブが得られるといえばそうとは限らない。しかし、相場の初級者を脱して、少しでも上達し、技術を身につけるためにはそれら一連の作業は不可避と感じている。五十を幾つか過ぎての座学。実践に基づき、損や利益を出しながらのアナログな学習。こうして勉強してきた世代には手指を使った書き勉強がやはりしっくりとなじむに違いない。

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