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2020年7月23日木曜日

震災から

震災から

 

東日本大震災から九年。あの日は事務所で資料をまとめていた。いつもとは違う場所にいた。あ、地震、と思ったら立っていられないほどになった。大地震だ、と思った。その日は研修会がありその資料をまとめていた。研修会は半ばまで進んでいたが私の出番は中止になった。会場に集まった人たちはそのまま足止めとなり、テレビを持ち込んでみんなで状況を見守った。携帯はつながらない。家の状況が心配だった。これはえらいことだ、と思った。これから当分、仕事的に地獄が続く、と。当時、スマホはまだ持っていなくモバイルルーターとノートPCを持ち歩いていたので、ネットでも状況を確認した。しばらくして家族と連絡が取れた。全員無事で家に被害もないとのこと。とりあえず近くの、私の実家で様子を見ていると。一階から崩れるから注意してとアドバイスしそのまま様子見。テレビでは銚子漁港に寄せる波で漁船が堤防にぶつかっている様子が写る。それを見て声があがる。非常事態だ。しばらく待機していたが、夕方には社有社で方向が同じ者同士で帰るよう指示があり、四人で乗り合わせて帰路についたが、一時間半のところ四時間程度で帰れたのはまだいい方だったと思う。一晩かけて徒歩で帰宅した人が大勢いたのだから。当時の上司は女性だった。合わなかった。しかし彼女が携帯の電池がなくなるほどいろいろな人から安否確認が届いた、という話をしているのを聴いて、ああ、この人は私とは全く相容れないが相容れる人をたくさん持っている人なのだな、と思った。しかし、仕事上で尊敬できる部分は全くなかった。仕事上だけのつきあいなので、私との関係はそれがすべてだった。そして、その反発は単身赴任へとつながる遠因となったと思っている。でも、その上司も早期退職した。そして、私も早期退職して三年が過ぎた。地震から幾年でいろいろとあって、なるべくしてなるようになったのだ。

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