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2020年7月26日日曜日

投資を始めて

投資を始めて

 

2005年昇進した。何か新しいことを始めたいと思った。二人目の子供が産まれ、共働きがきつくなった。妻に仕事を辞めさせた。時は投資ブームだった。お金に働いてもらう。持たざるリスク。今となっては相場のピークを過ぎたときに聞く言葉だと思う。仕事で、ファイナンシャルプランナーの資格を取らされた。PERPBR何のことか全くわからなかった。経済に強くなりたいと思った。セミナーなどを企画することが増え、講師と打ち合わせすることが多くなった。自然、投資にも話が及んだ。まずはやってみるべきだと言われた。自分なりにいろいろ調べた。そして始めた。個別株への投資だった。すぐに30万程度含み損になった。そのままにしておいた。投資信託のバランス型をやってみた。毎月分配のものだった。個別株は何ヶ月後かに70万円ほどの含み益を産んだ。ユニットバスが取り替えられると思った。その年を過ぎて明けてすぐ、ライブドアショックがあった。持っていた。みるみる損失は膨らむ。きつい塩漬けが短時間で仕上がった。のめり込む性格なので、その当時は資産の半分以上いろいろな金融商品に投資していた。感覚がおかしくなった。その後、試行錯誤を重ね、FXにも手を出した。たしか、サブプライム問題の後だった。リーマンショックが来た。百万単位で資金が飛んだ。すべての資産が多額の含み損を発生させていた。デイトレードもやった。有給をとって。生活費の余剰はすべて投資に回した。いつも早めのナンピンで墓穴を掘った。ぬか喜びと絶望を繰り返し、民主党政権での円最高値も経験した。最悪期で資産は40%ほど目減りした。その後、2014年の政権交代からかなり戻した。含み損は見る見る減り、ある資産はロスカットし、FXはやめ、株は含み益を持つようになった。相場の循環を知った。いずれ巡って、元に戻ることもあるのかと。そして、時間の偉大さを知った。大切さを。時間が経てば、ゆくゆく思い描くようになるかもしれない。思いをもつことが重要だ。そして、いま、アーリーリタイアを実現しようとしている。件の講師は、儲かった後、その資金をどう使うのかが重要だと言った。あなたはその資金をどう使いたいの? そのとき答えはしなかったが、組織に属さず、自由に暮らす、がその答えだ。いまここで、改めて答えたい。ちなみに、未だにあの、ユニットバスほどの儲けの時からは一度も総資産がプラスに浮上せずに現在に至る。

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