ギャンブルに依存というと違和感があるかもしれないが、一時期スロットにはまったことがあって、今から考えれば依存症の手前ぐらいまでいっていたのかもしれないと思いぞっとする。今はそれが投資に形を変えているだけかもしれないが。
なぜ依存症かもしれないと思ったかと言えば、スロットをやっているときは全く腹が減らなかったからだ。
カクンとレバーを倒し、パチパチパチとボタンを押す。ひたすら何かの修行の様にその動作を繰り返す。無我の境地に入っていく。何もかも別のところにおいてきたようにその動作の虫になっている。
のどは渇いても腹は減らない。時間はいつの間にか過ぎ去っている。リーチがかかり、覚醒する。座り直してボタンを押す。ああ、オバケだ。小当たりのゲームを消化しながら、早速思いは次の当たりに飛んでいる。そして、大当たりが来る。そのあとまた、間もそれほどおかずにまた大当たりが来る。そして一万円を使って三万円勝つ。
その記憶はしっかり脳裏に焼き付く。そして忘れられない。次の日には勝った以上に負けが込む。ムキになる。繰り返しているうちに生活の中心にそれが来る。社会生活に支障をきたし、依存症の診断が下る。
私もその手前ぐらいまでにはいたと思う。勤め帰りには打たずにいられなかったのだから。私の場合はどう抜けたのか。単純だった。
病気になってしばらく入院したのだ。病に苦しむうちに憑き物が落ちたように興味を失った。さらに、のたうち回る痛さのさなか、たばこを吸う状況でもなく、三日間うなされたあげくたばこも何となくやめて、そこから二十年近くなる。
病気により二つの依存状態から抜け出すことができた。そして今は、ネットの世界にどっぷりはまり、かといってITスキルがあるというわけでもなく、寝るかディスプレイの前にいるという有様だ。しかし、腹は動かなくてもしっかり減るのでその分太って始末に負えない。
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