幼い頃からがんばるべく教育されている。がんばらなければならないと脅迫されるように成長し、がんばって生きるのが宿命のように人生を送る。
私はがんばらなかった方かもしれないが、少なくとも脅迫観念のように何かしなければ、今よりもよくなるように何かをし続けなければならないと思いながら生きてきた。いつも何かを考え続けてきた。それが性分だった。
そして今、とりあえず時間に余裕ができて、がんばることを停止した今、なんとも居心地の悪い思いがこころどこかにわだかまって、まだ解放されていないな、と思う。
がんばらないことをがんばらなければならないのか。何だそれは。
こう言うときに、そういう気持ち、たとえば、後ろめたさとか自己否定感が心に巣くっていると、多分それは人に伝わる。そして、必要以上に警戒心を強めたり、虚勢をはったり、何とも無駄な空回りを産みそうだ。
今は、歌ではないが、時の流れに身を任せ、成り行きに寄り添い、焦らずに、堕落をおそれずに、自然体で存在することができれば別の景色を見ることができるだろう。
そして、そこから、がんばることをがんばる自分を見つけることができたなら、サラリーマン生活では決して得ることのできない、自由人としての充足感が得られるのではないかとときおり夢想して過ごしている。
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