疑問氷解
インターネットが一般化しておよそ二十年程度か。この間、長年の疑問がネットによっていくつも氷解した。しかし、私が疑問に思うことはそれほど大層なものではなく、解決しても特に他人の役に立つようなものではない。しかし、そのような、個人的な疑問というのはおそらく誰にでもあって、夢の話を聞かされるようにパーソナルな、おもしろいか、つまらないか、聞いたところで感じることもまちまちだろう。それでも、私はそういう他人の個人的な部分を聞いてみたい。その人の個性が例えば、長年の疑問の内容に反映されると思うから。それとも、割と普遍的で、同じような疑問を抱えて誰もが生きているのか。
長年疑問に思っていたり、もう一度見たい、確認したい、という事柄をネットの中に見つけたとき、私の場合、何だ、こんなことか、と落胆することがほとんどだった。勝手に頭の中で記憶がすり替わったり増幅したりして期待が膨らみ、実際を見ると膨らんだものがすとんとはげ落ちる。気が済んでしまう。そして、疑問は解かれ頭の中で修正され、あるものは忘れ去られ、あるものは正しく記憶され直され、あるものは疑問のままの方がよかった、と後悔を覚える。それでも気になる疑問は何らかの方法で正解に当たりたい。あわなきゃよかったという遙か昔のあこがれの人に似ている。がっかりしたとしても、あわないでいるより、一度は姿を見ておきたいものだ。
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