東京の横
私は東京の隣の県に生まれ育ち、ほぼずっと同じところにすんでいる。ここのとこ、気になることがある。
地球は活動期に入ったのか、至る所で地震が起きている。東日本大震災の時には私の住むあたりもすっかりセシウムに汚染された。またいつぞろ大地震が起きてもおかしくないと言われているが、そのとき、どのようなことが起きるか。
東京は住宅が密集し、人口も集中している。また、建築基準法上再建築できない建物もたくさんある。路地は風情があるかも知れないが震災の際には大量の家を失う人々が発生する。
避難所が整備され、被災した人はそこで暮らすことになるのだろうが、大きな問題が一つ思い浮かぶ。排泄の問題だ。
以前仕事がらみで災害に対しての心構えといえような講演を聴いたことがある。その中でいくつか心に残ったことがある。まずは、オフィス街で大地震が起きたときには、ガラスやオフィス機器がビルから降り注いでくると。何万人もの帰宅難民者が道路にあふれる。ちょうど東京マラソンのスタート地点のような状態にそれは降り注ぐ。それは生命の危機に直結する危険だが、それをクリアできたら今度は排泄の問題だ。
ひとり排泄に1から5分程度、また排便となれば5分10分。若者ばかりではない。高齢者はさらに時間がかかる。簡易トイレに長蛇の列。一時間待ちはザラ。おいしいラーメン屋の行列ではない。
そして、人はそのような状況を嫌気して拡散していく。人の数がまだましな周囲に。
県境・都境の川を渡ってくる。ある人は河川敷に陣どり、そこが埋まれば今度は電車でみればごみごみした家並みからカクッと土臭く茶色に広がるネギ畑へとあふれてくる。そこでは排泄行為はフリーに行われるだろう。有機肥料を脳裏に浮かべながら薄まった罪悪感と恥じらいの違和感をすぐ乗り越えて、ネギ畑が巨大なトイレと化す。