自由の裏
自由の裏
経済的に自由を手に入れたならば、すべての問題が解決すると言うことでは決してなかった。なぜ、自由をこれほど欲したのか。それは、対人関係のストレスから解放されるのを欲してのことだったのだが、ストレスも人との関係で生まれ、それを発散するのもやはり、人との関係の中で、ということに改めて気がついた。おそらく、ストレスは格段には減ったが、それでも無くなることはない。そして、やってくるストレスは耐性を無くした身にはほんの少しでも限りなく増幅され、やがて自己嫌悪へと移っていく。内省的な性格は別に自由になったから消えるわけでもなく、このような気持ちを抱えてとくに誰に打ち明けるでもなく、閉じた内側をぐるぐると回るに任せるだけで、そうなると負の心持ちは回転し発酵し凝縮され、心に住み着いてしまいそうになる。いくら他人から解放されても、そのような心持ちはあるいは他人に話すことでしか解決できないものなのかもしれず、そうなると、誰かから自由になると言う当初の望みとは全く反対のこととなる。そんな裏腹やら自由やら不快やら安堵やら様々な気持ちが膨れ上がりどうにも片づかなくなっている。こんな気持ちが望みの先に待っていようとは、こうなるまで全く思いも寄らなかった。自由とは心細いものだ。
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