デタラメ
デタラメ
いろいろな個人投資家のサイトを覗いて、人様のやりようを見ていると、誰もが手痛い目に遭って、そこで自分なりのルールを確立していることが分かる。根拠がないことをデタラメという、というフレーズがかかれていて、とても深く心に刺さった。そうだ、私はデタラメだったのだ。デタラメではかなりの確率で物事が失敗し、上手く行かなくなる。デタラメだったから負けたのだ。もちろん、投資で負けたし、有る意味、人間としても負けたのだ。自信があれば、むやみに右往左往はしない。優れていれば、別に誇示する必要もない。そのどちらでもなく、もがくのが凡人と言うものであり、凡人のする事はかなりの部分がデタラメだ。ただ、デタラメはおそらく、人間にしかできない芸当で、そのデタラメから偶然、大革新が起こることも希にあるので、悪くとらえるばかりでもない。そのデタラメさ故に微苦笑混じりに愛すべき人物もたくさんいて、あのひとはデタラメだから、と免罪符とまかり通る人もいる。デタラメ愛というのが備わると言うのは誰にでも破滅願望が有ると言うことにほかならず、人の破滅を見てみたくも有れば、自分も破滅してしまいたい。そんな心根がないと誰が言えるだろう。その含羞が強いほどロマンチストと人に呼ばれる。
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