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2020年8月12日水曜日

慢心

慢心

 

家族で少し離れたスーパーに出かけた。近所に何件もスーパーが有るにも関わらず。そのスーパーは清潔で買い物がしやすく、品物の価格も手ごろだった。そして、商品に魅力があった。しばらくぶりにそのスーパーに行って、いくつかの違和を感じた。私たち家族が魅力的だと思った商品がまずなくなっていた。品切れではなく、品ぞろえからはずされたようだ。やけに店員がたくさんいた。そして、三時に店員が掃除を始めた。店内放送で客にお断りをいれて、しかし、ワサワサし始める。品出しの段ボールを積んだ台車か通路に置かれている。総菜の上を覆っていたガラスケースがはずされている。微妙に、違和が積み重なって、このスーパーが近くにできれば、と言っていた私たちは何となく無表情になった。暮れの季節だから、特別なディスプレイだったのかもしれない。正月用のフォーメーションだったかもしれない。かもしれない、と言うことはたくさんあってもそのときに感じたことは感じ直すことはできない。そのとき、そう感じた、という印象で記憶に残る。特に、悪い方の記憶が残る。私は有り体に言って、このスーパーは慢心した、と感じたのだ。ここから先のことは知らないが、そう感じたのが私だけなら別にそのスーパーには痛くもかゆくもないのだろう。

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