夏に関しては「逝く」という字を当てることがあるが何となくこちらの方がしっくりくるところがまあ、俗っぽい気もする。他にも、季節に関して本来と違う使い方の字を当てて情緒を醸し出そうとする何というか、エセ詩的というか、手垢にまみれたというか、そういう表現に割とアンテナが反応するのだが、そういうの、疲れる。というわけで特に奇をてらうでもなく逝く夏を惜しむが、今年は、ほとんど外出していないので、汗でまとわりつく不快なシャツとか、後ろ頭の髪が束なるような発汗などは体験していない。これは、勤めをやめた特権だろう。その特権がいつまで保持できるのか分からないのが悩ましい。暑いとき、わざわざ表にでなくていい快適さ。混んだ電車にわざわざ乗らなくていい悦楽。そのうちサラリーマン諸氏は定年を迎えれば経験できますのでしばしお待ちを。しかし、年金75歳支給などとふざけたことを政府がぬかし始めてきたので、油断がならない。ならば、いままで積み立てた原資、返してくれ。自分で運用するから。そのために早期退職したという側面も大きいのだから。投資というか、資産管理活動も、毎日、何年も続ければプロになれるだろうと専業になったのだから。朝、いやいや起きて満員電車に乗る代わりに、どこからも給料はもらえず、運用状況によっては胃がきゅっと痛んで、脂汗が出てくる生活。実際、かなりシビアな夏ではある。これからどんどん陽が短くなる。年々、秋が、春が、短くなっている。相場の快適なシーズンは短く、それをものに出来るかどうかはこの夏の経験にかかっている、とはあまり思えない。
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