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2020年9月30日水曜日

親子丼のおや抜き


 親子丼のおや抜き

 

親子丼から親を抜くと玉丼になる。卵、タマネギ、ナルトを刻んだようなものを甘辛いツユで玉子とじにしてどんぶり飯に乗せる。あまり玉子丼を頼んでいるひとを見ない。少しの金額で親、つまり鶏肉が入るし、もう少し出せばトンカツが入りカツ丼となる。カツ丼・親子丼の価格-玉子丼の価格=お得感を見いだせるか。この数値は親子で100から200、カツで200から300くらいか。しかし、チェーンの「かつや」のようにそもそもの値段設定がそば屋の玉子丼よりともすれば安い店もあり、そこそこうまい。そば屋で昼食をとることはほとんど私の場合にはなく、なぜなら値段の割に満腹感が得られないというなんとも貧乏くさい理由なのだが、それと同時に鰹出汁の濃厚なそばつゆの香りが店先から漂わなくなったと感じるところも理由の中での割合は少なくない。つまり、そそられないのだ。もう一つの理由は、つい最近まで、固まりの肉が苦手でカツ丼が食べられなかったということもある。今は、積極的にとは言わないがカツ丼もなんとかできる。以前ならば、みんなでそば屋に行かざるを得ず、そばでは腹が満たされず、丼物となってしまい、玉丼を頼むのがケチなようで嫌だった。実際カツ丼を勧められたこともある。大きなお世話だ。いろいろな事情が人にはある。世の中にはカツが苦手だったり、刺身を見るのもいやだったり、うなぎなんてとんでもないという人もいる。私だ。人生損をしているとよく言われるが嫌いな物を無理に食べさせられる苦痛の方がよっぽど人生の損失。玉丼から人生の損失。大げさな話だ。自分で玉丼を作ることもある。その場合は、あれば、出来合いで構わないのでコロッケをカツに見立ててコロッケ丼にする。または、揚げ玉を入れて、狸丼にする。狸丼は勤め始めた頃、そば屋で知ったメニューだ。それこそどんぶりの中では外道めくが、それは私の知っている範囲だけの話で、それがメジャーな、ともすれば玉丼といえば揚げ玉(天かすというかもしれない)が入っていて当然という地域もあるかもしれない。もしそういう玉丼ならそれはそれでおせっかいな玉丼かとほんのり思う。

2020年9月29日火曜日

妻の病気


 妻の病気

 

朝目覚めると妻が顔を歪ませて腰が痛いと言っている。先般、腰を痛めていたのでそれかと思ったが、痛くて動けないといい、戻してしまった。そして排尿障害があるという。腎臓か。熱はない。それでも子供たちを学校へ送り出す頃には少し落ち着いて、用も足せるとのことだった。ぴんときた。しかし、素人判断はまずいと、近くの医院を探したが、あいにく木曜日で休診ばかりだ。仕方ないが大きめの病院にかかることにした。プライベートではあまり運転しないミニバンを運転し、駅前の病院に向かった。ここは私もよく通ったがものすごく待たされるところだった。しかし、診療と入院の機能を分けて大分改善されたと聞いている。どうなるかわからないがどうせ暇なので思い切ってかかってみると、受付から診療、検査、会計まであわせて二時間半ですんだ。ちょっとした名前の手違いがあり、そこで合計十五分ほどロスしたが、それでもそれだけ。何が改善されたのだろう。以前は予約しても半日、下手すれば昼下がりまで時間がかかったものだ。循環器系の科は分離されていた。もともと心臓の疾患に定評のある病院だったのでそれだけでも大分違うのだろう。しかし、検査まではよかったが、何の病気かは結果がでるまでわからず、わかるまで一週間かかるという。尿から細菌はでていない。とすればやはりあれだ。たぶん、石だ。結石。痛いのは超一級だが命に何ら関わらない重いのか重くないのかのあれ。贅沢病などとも言われる。なぜわかるかと言えば私も何度もやっていて、いまも二つ三つ入っているから。もしも違う病気で吐くほど痛み、排尿に困難が生じるとすれば何の病気か。菌も出ず。それはちょっと怖い。しかしこの一週間、どうすればいいのか。石ならとんでもなく痛くなる可能性がある。いつどう痛むかわからない。波もある。びくびくものの一週間だ。担当は今風の若い医師で「また来週お会いしましょう」と司会者のようなことを言っていたらしい。痛み止めくらいくれてもいいのに。そして家に戻って、車の止め方で妻と諍いになる。少しよくなったからといって。妻、あの痛さはなまなかじゃないぞ。

2020年9月28日月曜日

円高


円高

 

固定相場の時代から円はどんどん高くなり続けている。360円から70円台まで下がり、今は100円プラスマイナス20円程度での推移。その昔、フェンダーストラトキャスター、アメリカのフェンダー社製エレキギター、よくカタログをもらいに楽器屋に通ったが、いくらぐらいだったろうか。本土では2000ドルくらいだったのだろうか、また、関税などもいろいろとあったに違いない。30万円以上していたのではないか。今と違いおなじストラトでもひとタイプしかなかった時代。廉価版なんてない。有るのは機種で、エントリーモデルが「ミュージックマスター」という機種だった。日本円で10万円ぐらい。それが、円高がすすみ、価格改定価格改定で次々と値札が書き換わっていった。10万、9万、75千円と、最終的には6万円ぐらいまで日本価格が下がったと記憶している。これなら無理して買えるかも、と思った。その当時はそうなる仕組みがよくわからなかったが、変動相場制とはそういうものなのだ、と覚えた。 

2020年9月27日日曜日

マスク


マスク

 

マスク問題というのがあるのかないのか。私も勤め人時代、風邪予防にかこつけて冬はマスクをしていた。部下も何人かしていた。マスクは風邪の予防になる。マスクは暖かい。マスクは口臭を漏らさない。そして、マスクは顔の半分を隠すことが出来る。マスクをしていると意外に気づかれない。いろいろなことを。目が語るかもしれないが細めておけばいい。言葉に気をつけていても表情にでる。思いは顔に書かれる。私なぞ顔面黒板ですべての感情が居酒屋の本日のおすすめみたいに頬に書き殴られる。それは当然あまり読みとられたくない感情で、だからマスク。十月あたりから四月の半ばまで。マスクビズ。最後の方はこれにかなり救われた。とにかく死にそうな顔をしていたから。すると今度は目の下が真っ黒になった。クマといった話ではない。茶色の靴墨を塗ったみたいに。目に来たか。今は純粋な用途でしかマスクをしない。しかし、たまに外出する人混みにはマスクは必携だ。マスクをして目の下を茶色に、めがねをかけて人混みに紛れている。 


コロナのような疫病が流行るなと想像もしなかった頃の話です

2020年9月26日土曜日

腕時計について


腕時計について

 

いま、タイメックスの時計にはまっている。タイメックスはアメリカの時計メーカーで、オバマ元大統領もつけていた。というと高級腕時計かと言えば、一万円しなくて買える。ひととき流行ったスウォッチのような位置づけを自分の中ではしている。タイメックスにはインディグロといって夜にも見えるライトがついていることが多い。また、イージーリーダーといって文字がはっきりと大きく、見やすい物が多いのもうれしい。先日、オークションで3000円せずに落札した。やはりどことなくチープではあるが、学校にかかっている時計のようで愛嬌がある。素材の質感の問題だ。昔流行ったアイビー時計(紺赤紺の横ストライプベルトのやすい時計)を思わせる。てかてかつやつやではなく、少しヤスリをかけたようなシルキー仕上げにすれば印象はだいぶ変わるが、値段もだいぶ変わりそうだ。しかし、8000円ぐらい奮発すれば、見た目てきにはしっかりした物が新品で手に入る。七本買って日毎に変えるなんて言うのもおもしろいかもしれない。が、私の場合は誰にも気づかれず完全に自己完結となる。そもそもおしゃれというのはそういう自己完結的な物かもしれない。見せびらかすのではなく自分の中に秘めておくような。わかる人だけわかる。そしてにやっと。なんかいやらしくもある。タイメックスはアンティークもおもしろい。そして、安い。そう意味ではアンティーク腕時計はラドーやウォルサムやティソなどのスイスの超メジャー以外のメーカーのものもおもしろいと思う。一万円程度でかなり個性的な物が手に入る。押し出しがつよいフェイスも多いので、「どや」とやりたい人はいいかもしれない。私が腕時計に求めるのは「文字盤が見やすい」「秒針がある」「日付がありできればそれが見やすい」「願わくば正確」といったところか。それで普段はシチズンのソーラー電波時計をつけている。メンテナンスいらずで水にも浸けられる。しかし飽きる。重い。薄くて見やすい時計としていま私にはタイメックスが際だつように見えている。 

2020年9月25日金曜日

マイ電柱

 


マイ電柱

 

オーディオの世界はきりがない。気にし始めるとすべてが気にくわなくなり、スピーカーの角度もミリ単位で少しずつ調整するような世界。しかもオーディオケーブルの善し悪しから長さ、置き方まで、レコードまたはCDプレーヤー、プリアンプ、パワーアンプ、スピーカーにいたるまでいじるところが無限にある。そして出てきた音の「いい音」というのには絶対値はない。寺島靖国氏の著作を読んでいるとそのあたりの悪戦苦闘ぶりが滑稽ながらも自分にもレベルの差はあれそのような凝り性の性質が少なからず備わっているのでこれは安易に踏み入れては行けない領域だなと危険に思う。オーディオは小さな音でいい音を出すのは本当に難しい。有る程度音が大きいといい音に聞こえてしまうが小さい音ではごまかしが利かない。そして私は、アキュフェーズのプリメインとリンのケイタンというスピーカーでオーディオを投げた。どうせソースはPCなのだから、とアホらしくなってしまった。ただ、以前にも書いたが、そこにデジタルアナログコンバーターをかますだけでかなり音質は変わる。私としてはマニアともいえない単なるオーディオ知ったかぶりだが、命を懸けている人はもはや求道者と、部屋から作り上げてしまう。ただいい音のための部屋。そして、ついに電源にこだわり電柱を別に設置。そんな人をテレビで紹介していた。電気も原子力発電の物に限るなどと言い出しかねない勢いか。しかし、電源については非常用のポータブル電源でかなり音質が変わることを知った。バッテリーから電源をとると音がいいとアマゾンのレビューに書いてあったが、半信半疑で試してみたところ素人でもわかるくらいに音の解像度が上がった。電柱は250万円。ポータブル電源、約4万円。意外に使用時間が短いのが難点だがCD一枚くらいは聴ける。もっとも私は昼間の電源用にかってみたもののなんとなく使うのに配線などが面倒で部屋の隅で静かに放電しながら埃をかぶっているという有様。

2020年9月24日木曜日

マイナー音楽

 


マイナー音楽

 

曲調のことではない。いわゆるメジャーシーンに出ることの無かった音楽。1980年代の日本の軽音楽シーンはテクノやニューウェーブの台頭で異様に盛り上がっていた。しかも横並びではなく、個性を競って、個性を追求しすぎてこんがらがってしまったようなマイナーなバンドがたくさんある(らしい)。というのもそのあたりのマイナーシーンのメジャーどころ(いったいどっちだ)をユーチューブで漁っていたらしらないグループが関連動画でいろいろと出てきたからだ。ちらっと聴いてみると「ああ、言わんとするところはわかる」とか「あああのアーティストを意識しているんだな」とかわかるものがほとんどだ。当事者にはそんな意識はなかったかも知れないが私の耳にはそう聞こえてしまう。やはり、戸川純などは並外れた才能と個性の持ち主だったのだなあと感じる。このあたりのシーンは少し掘り下げていく価値がありそうな気がする。自分がいいなあ、と思える曲にこの年で出会えることはそうそうない。体も音楽を聴く耳も贅肉がつきすぎている。何を聴いても新鮮だった、もっと言えばなけなしの小遣いをはたいて買ったレコードはそれがたとえはずれであっても元を取るべくヘヴィに聴いた。いまはそれがタダで聴けてしまうので耳も雑になってしまってはいるが、そのあたりをさまよう求道者になろうか。感銘なり戦慄を覚える曲を一曲でも自分の中に増やすべく。

2020年9月23日水曜日

ナットを削る


ナットを削る

 

ヤマハの古いギターで、ナットのない物を以前手に入れた。そして、ナットをどこかから用意してつけてみたが、弦高がたかくて話にならない。そのため今度は溝を切ってみたがすると今度は深く切りすぎて一弦がひびってしまう。ヤマハのオレンジラベル、251という型番。1970年代の二万五千円と思われる。エントリーモデルの二つ上くらい。このあたりが今一番よく枯れていい音なのではないかと思う。裏の板もいい木目を見せている。もちろん作りは国産。で、暇にかまけてそのまま2年、入手してから。ふと思い立ち午後、このギターを弾けるようにしたいと、作業に取りかかる。まずは溝を切ってある方とは反対側をヤスリで削っていく。木工用のいいヤスリを、といっても三千円程度だが、かしかしと動かしてナットを削る。こういう作業は私を無心にさせる。かといって削りすぎるとナット自体だめになる。削りかすが敷いてある新聞紙にたまる。おそらく、牛骨のナットだ。白い粉。おそらく一ミリ半くらい削ってネックにナットをはめ込む。高さ的には良さそうだ。今度は溝を削る。前回はこれで台無しになった。今度はヤスリの種類を変えて削る。まずは目印程度に浅く。その目印が少しずつ片方に寄ってしまった。しかたなし。そのまま作業を続ける。一度調律してみた。少し違和感がある。さらに溝を彫る。また調律する。ナットが片方に余ってしまったが、G/C/D/A/Fと押さえてみて、いい音でなっている。すこし金属的な感じがする初期ビートルズのコードストロークのような。いい感じだ。さて、片方にあまったナットは削り落とす。結構な手間。ついでにもう一方も手に触るので削る。すこしヘッドまで削れてしまった。塗装がこすれた程度。ローコードではなかなか弾きやすく音もいい。ハイコードは少し弦高が高く押さえづらい。もしハイコードを多用するなら少しネックの調整が必要かもしれない。とりあえず、弾けるギターには直せた。達成感が心地よい午後だった。 

2020年9月22日火曜日

チャーハンのスープ


 チャーハンのスープ

 

チャーハンについているスープ。あれおいしくないですか。鶏ガラのスープ。やけにとがっていて、ネギが散らしてあるのがまた、アクセントとなって、口の中を引き締める。あの味が昔から変わらないのはうれしい限りだ。カレーが粉っぽい味わいを失い、トマトが、ピーマンが、白菜が、牛蒡が、人参が、癖を失いどんどんマイルドに平坦になっていく中(それが悪いなどとは言わないし昔がよかったという気はない)、鶏ガラとたれによるシンプルなスープは変わりようがないのだろう。昔ながらの東京ラーメンはガラとタレのシンプルなつゆだろうが、食べていく間に麺が少しずつつゆに溶けて味の尖りが丸くなっていく。チャーハンのスープは麺が入らないので尖ったままだ。チャーハンは食べ物としては平板な物なのでスープの尖りは音楽で言うところの一瞬のブレイクのような、口の中をがらりと変える重要な役どころだ。レッドツェッペリンのプレゼンスにある何曲かのような緊張感のあるブレイク。たとえば、これが、中華風コーンスープや玉子スープだったら。ちょっとあり得ない。ジャンルを違えて、コンソメスープだったら。何となくわかるが、すこしこじゃれたたたずまいの中華屋というよりチャイニーズ何だか、といった店で「あえて」とか言われて出されるとその「あえて」に至る思考過程によほどの哲学が感じられなければ査問の対象となっても店主に同情はちょっとできない。

2020年9月21日月曜日

コンサルタント2


 クロワッサンに限らずパンは店で焼いている。やはりパンは焼きたてならば焼きたてなほどおいしい。ちなみに最近焼き「立て」とよく見かけるがどことなく違和感がある。ここ最近だ「焼き立て」は。その日は有る意味半ば昼食も接待のような意識でいたのであまりたくさん食べられなかったが、クロワッサンがおいしいですよ、と投げたところ、ああ、フォルクスのパンはおいしいですよね、と帰ってきた。割合プライベートな話をしつつ、結構長居した。これからの予定はといえば岡山へ出張だと言っていた。なんか大変だなあ、とまったくの他人事として感じだ。その人は月にあるいは二月に一度、いろいろなコーチングをしにきた。その中で、職場における自分のポジショニングが痛々しいほどわかってしまい、著しく仕事のやる気を私はなくしていったのだった。そして、二月あいたコーチングの日に別のコンサルに人が変わった。あの人はあっさり会社を辞めてしまったのだ。私とそうは変わらない年齢だった。どこかに引き抜かれたのだろうか。それとも私と同じく職場にうんざりしていたのだろうか。そういえばしばらく行っていない。フォルクスのクロワッサンをたくさん食べたい。そのあとの激しい胃もたれには目をつぶって。

2020年9月20日日曜日

コンサルタント1

 コンサルタント

 


退職する2年ほど前からコンサルタントが職場にはいった。ああコンサルが来たか、と思った。コンサルが入るほどか、とも思ったし、コンサルでこの硬直した職場が早々変わるはずもないだろうとも思った。面接をしたり、仕事の検証をしたり。あるとき、私が外回りに出るのに帯同することになった。その人は偶然にも私の姉と同じ高校の出身だった。一気に距離が縮まり、いろいろな話をした。成田方面で昼食の時間となり、この日の昼食代は経費だというのでファミレスの「フォルクス」に入った。フォルクスはめっきり減ってしまい、私の家の近辺にはなくなってしまった。私の中では「ロイヤルホスト」と同列なのだがどこで差が付いてしまったのだろう。フォルクスのハンバーグはみっちりしていて、デミグラスも濃厚だ。ロイホもおいしいけれどフォルクスも負けていない。しかしなんといってもフォルクスのいいところは焼きたてパン食べ放題。店で焼いているパンを何度もお代わりできる。とくに絶品はクロワッサンだ。一口サイズの小振りなクロワッサン。クロワッサンの命はバター。たっぷりとバターが練り込まれて手に取るだけて指にバターが滲みてくる、ここの、クロワッサンは。口に運ぼうとすると焼きたてのいい香りが鼻腔に競り込んでくる。口に入れるとバターの香りがさあっと頬をめぐり、噛むとバターがそのままじゅっと歯と舌にあふれ出してくる。そしてさっと口に溶けてなくなる。口の中には風味が余韻として残る。このクロワッサンは何もつけず、単体でやりたい。または口の中がデミグラスで濃い口になってしまったあとの濃厚すぎる風味の口直しとしていい働きをしてくれる。

つづく

2020年9月19日土曜日

損と得


損と得

 

怒られるということがある。原因はいろいろあるだろうが気分は良くない。だいたいにおいて、怒られるというのは相手の感情を害し相手はその感情で怒るので、怒られれば反省と云うよりは反発を感じることが多い(叱るはまた別。冷静にしたことに関し悪いことなら誤ちを正されることが叱ることではなかろうか。それであれば反発より反省が先に来るはず)。大抵、相手の感情を損なおうとやりとりする訳ではないので、怒りをくらうと理不尽に感じるのではないかと思う。そんなとき、私は「相手は怒り損だ」と思うようにしている。いままでの人生でネガティブな感情をむき出しにして方向が好転することはほぼ無いことを知っている。知っていてしばしばそうなってしまうのは明らかに私が莫迦なのだが。という意味において相手は「怒り損」なのだ。場合によっては同情を集めて「怒られ得」になることもあり得る。ああ、災難だったねと。あらゆることをそう考えて見るとおもしろい。「怒られ得」「叱られ得」「おごり得」「骨折り得」「世話焼き得」「忙し得」「やられ得」「考え得」ネガティブなイメージには得をつけてみる。すると少しは気が楽になるかもしれない。もちろん、そのくらいで楽になるとは思わないが、少しは気が晴れるかも、と思いつつ「やられ得」って何だ? いまだ人格者に遠く及ばぬ私ではある。 

2020年9月18日金曜日

世界の仕組み

 


世界の仕組み

 

世界はおそらくよく考えられて歯車がかみ合っているのではないか。裏でみんなつながっていて、自分たちの都合のいいようにうまく回っている、その自分たちとはだれか。たとえばある国の脅威はほかの国にとっては利益にはたらく。その利益も経済的なものから統治に関することまで、いろいろ、一石二鳥にも三鳥にもなるように仕組まれて。頭のいい人がいろいろと考える。あれこれ一見バラバラだが複雑に絡んだコードをたどるとああここにつながっていたのか、と。庶民は現象のみを見て、コードの中で指板の上を行き来するギター弾きの指か。どうあがいても指板からは外れられない。

かく言う私はその最たるもので、流暢に指板の上を流れる人さし指や中指というより動きにくい小指のごとし。あちこちにとばされながらそこで起きていること、話されていること、行われていることを聞き、見、感じ、自分なりのあまり回る方ではない頭で、不器用に考えてゆくしかない。何を考えているのか、時折分からなくなりながらも。

2020年9月17日木曜日

集団行動

 集団行動

 


集団行動という一種のマスゲームなのだろうか、集団でぶつからずに交差したりするあれ。あれは何なのだろうか。スポーツか。芸か。よく分からないがすごいと思う。きちんと息を合わせて、動きを覚えて、何度も失敗しにながら、ミスせずに本番できちんと演目をやりきる。すばらしい達成感を感じるだろう。一体感。連帯感。そのような経験はきっと人生の中でいろいろな局面で役に立つに違いない。しかし、私はあれが苦手。まず、動きについていけない。すると人に迷惑をかける。迷惑かけてかけられて人間、という思いもあるがそこでそれを試すのは私にとっては挑戦のハードルが高すぎる。というより、成し遂げたときのコストパフォーマンスがなんか努力に見合わないような気が。あくまで私見だが。あと、何より集団行動が苦手。この種目に限らず、集団で何かをするというのが性に合わない。一匹狼といったかっこいいものではなく、自分勝手なのだ。へそまがりかつあまのじゃくでとりあえず異を唱えようとする自分の性格にも辟易するが、全体で何かを成し遂げるというのがどうも。そこにある人間関係やヒエラルキー、その他もろもろが煩わしいというか。セットミーフリーと。というわけであの演目(というのだろうか、そういっては失礼なのか)をどのように味わえばいいのかよくわからない天の邪鬼これ記す。

2020年9月16日水曜日

旧車2

 


旧車2

 

スーパーカーから初めて乗ったおんぼろ車の話だった。その時代の車が好きと書いた。あの時代の車はデザインに味があって今見るとすごく新鮮に見える。そして、小さい。たまに、どこかの駐車場にランサーセレステなどが停まっていると、今の車と比較して小さいのがよくわかる。後ろに三人乗ると厳しい。四人でもわりとたっぷりな感じかもしれない。あの頃の車は曲線が車体に流れていて、どういう意味なのかわからない折れ線などが入っていたりする。コロナマークツーやスカイラインなどがそうだ。今の車にはそういうむやみな装飾的なものは見あたらない。私のミニバンなどは角の取れた真四角だ。それもまあ潔くていいが、芸術性は感じられない。当時の車で言えば、セリカがクーペもハッチバックも好きだった。小学校の時、音楽の先生(当時50代くらいか、髪が長く、赤い服などを好んで着ていた独身女性で、お嬢様などと陰で言われていた)が白いセリカリフトバックを乗ってきて、プールの横に止めてあるのをよく眺め回したものだ。真っ白の車体でバンパーは鏡のような鉄製。夏頃の強い日差しにきらきらと輝いていた。大きくなったら乗りたいと思った。しかし、車はどんどんモデルチェンジし、同じ形状のままではいない。それどころか失われた車種も多い。117クーペなどスタイリッシュで人気のある車種だったのに。コストがかかっていたのだろう。そして、私が車を買えるほど大人になった90年代は、角張った車ばかりだった。ファミリア、マークⅡ、セドリックなどかくかくした車ばかりだったが、今見ると少しレトロ感が出てきた。ベンツも、あの時代の形が一番好きだ。家を買えない人が団地に住みSELなどを無理して買った時代。で、思うのだが、車は復刻版などはそう簡単には出せないのだろうか? ライン設備などは車の形状に合わせるだろうから、難しいのだろうと想像はつくが、スバル360など、少し大きめにして、デザインは極力変えず、エンジンと居住性、操作性を現代にしたら、売れると思うのだけれど、素人の考えなのだろうか? 何かいろいろと問題があってそうしないのだろうが素人なのでわからない。ただ、復刻すれば売れるだろうと思われる旧車がたくさんあるように思われ、車素人の私などは昔のオリジナルを直して乗るなどという面倒は勘弁なので、デザインだけ戻したい。ちょっと大きくして。音楽も映画もドラマもテレビ番組も、よく焼き直しで人気を博しているのだから、車も人気投票なんかして、うまく復刻すればいけると思うのだけれども。

2020年9月15日火曜日

旧車1

 


旧車
1

 

スーパーカー世代なので、車は人並みに好きだ。フェラーリ、ポルシェ、ロータスヨーロッパ。ロータスヨーロッパはものすごく車高が低い。たいていスーパーカーは車高が低いが。BMW2002もあの漫画に載っていた。箱型セダンなのに速いというのがいい。窓が大きくとってあって温室みたくて後部座席の乗り心地が良さそうだ。スーパーカーもいいが、古い国産車も好きだ。近所のおじさんがフェアレディーの4シーターに乗っていた。その後ろの座席に乗せてもらったが子供ながらに狭かった。サバンナGTに乗り換えた。窓からみた室内の、メーターがたくさん並んでいるのがかっこよかった。タコメーターは高い車にしかついていない。叔父がカローラのクーペに乗っていたが、レビンではなかったので(今で言うならなんちゃってレビン)タコメーターをハンドルの横の方のスペースに後付けしていた。うちには免許を持った人間がいなかったので私が免許を取って中古のジェミニクーペを譲ってもらうまで車が無かった。当時でさえ10年車にさしかかるところで、後一年ほどの車検付きで五万円で譲ってもらった。しばらく名義変更をしないまま、横浜ナンバーで走っていたが、変更しろと促され、自分で陸運局に変更しに行った。半日仕事だったがあまりに誤記が多かったので最後は係りの人が書いてくれた。そしてナンバーをもらい、自分で取り付け、封印をしてもらいたしか全部で3000円かからなかったぐらいか。4速だったがタコメーターはあった。ハンドルは当然パワステなんぞ無く、重ステだった。昔の車は運転に力が要った。初めて高速に乗ろうとして、合流に入れず、同乗者に死ぬ思いをさせたのもいい思い出か? 事故もなく、いろいろ遠出もして、スピードも出して駐車違反もした。黄色い車体にスポーツライン?みたいな線が入っていた。たしかヨーロッパでも発売され、オペルカデットという名称だったかと思う。あの時代の車が好きで、この話改めてまた書きたい。

2020年9月14日月曜日

外食


外食

 

思えば、勤め人時代はほぼ毎日昼食は外食だった。大した物は食べていないが、毎日。何を食べようか。余裕のあるときは店で食べたし、余裕がなくコンビニ食ですますこともあった。また、余裕はあるが少し寝たいといったときは、スーパーで弁当を買って車の中で食べるということが多かった。睡眠は何かと不足気味だった。年をとると朝早く目が覚めるというが、私の場合はいつになっても朝起きるのがつらかった。寝不足で電車に乗り、車内で寝て、職場に着いたらその日の肝となる仕事にまず手をつけるという日常だった。そして外出し、昼になり、昼食をとる。弁当持参という時期も内勤の一時期、ごく短い期間あったが、同じようなメニューで飽きる。偏食の私が悪いのだが。しかし、外食は何だか飽きない。同じハンバーグでもファミレスによって全く違う。いろいろ行った。サイゼリア、ガスト、ココス、ジョイフル、けん、宮、ブロンコビリー、びっくりドンキー、フライングガーデン、ビッグボーイ、フォルクス、ロイヤルホスト。なぜかデニーズはほとんど行かなかった。ワンコインで済むガストやサイゼリアはやはり頻度が多かった。私が好きなのはどうしても濃い味のところ。そしてご飯のおいしいところ。おかわりや大盛りの出来るところ。あ、やよい軒というのもあった。今思えば、外食も、コンビニも、味付けはかなり濃い。外食をしなくなって思った。習慣の問題だろうが、外食は癖になる。濃い味付けが癖になる。外食ばかりですますというのは健康を著しく害するだろうとは思う。が外食に飢えている。30年近く外食で昼食をとっていた。いきなりきっぱりやめられない。今でも、週に一度程度は外食に出かける。その際、妻にもつきあってもらうので料金が二人分になるのが小遣い的には痛い。 

2020年9月13日日曜日

時計ベルト

 


時計ベルト

 

革の時計ベルト。いや昔風に時計バンド。苦手。汗をかいたときに気持ちが悪い。スチールバンド。いいけれど手が重くなる。そこで最近ナトーベルトというナイロンベルトを愛用している。ベルトを時計の裏に通す。直接腕時計の裏面は腕につかない。本来の付け方でベルトを付けると時計が少し盛り上がる。そして金具が余ったベルトを納めるところ以外にもひとつ見えるところに来てしまう。それがナトーベルトというものだといわれてしまえばそれまで。しかし私にはそのようなアクセントは不要。そこで、その部分のベルトを切ってしまうことにした。すると私にとっては二つの利点が生まれた。一つはよけいに時計が盛り上がらなくなったこと。すっきりとして、単なる黒いシンプルなベルトの見た目となった。そしてもう一つは、ベルトの取り替えが容易にできるようになったこと。腕時計についているバネ棒にベルトをくぐらせるだけなので、着せかえのようにベルトを付け替えられる。しかも手間が大幅にかからず。これは最近の私的改造では久々のヒットだ。やすい時計をいくつか入手した。ナトーベルトもアマゾンで500円程度。色違いで何本か有るとやすい時計三個とベルト三本、一万円以内で組み合わせが一週間楽しめる。意外に、腕時計は見られている物なので、そんな組み合わせを楽しんでいると話題が広がるかもしれない。やすいもの自慢で自ら話題にしてもいいかもしれない。まあ、貧乏くさいと言えば言えなくもない。私は、とくに話題にする必要もないのでここのところセイコークロノスの古い物に黒ベルトを巻いてなんちゃってジョブスと一人で悦にいっている(本家はシャリオ)。バンドはいつの間にか書くうちベルトに戻っている。

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メンタルが削られるので今週は損益集計をよしておきます

2020年9月12日土曜日

免税

 免税

 

外国人向けの免税店が上野や秋葉原に多くあるらしい。というのはここのところ全くその方面に行っていないのでテレビでの知識でそんなこと言っている。免税で思い出すのは昔日本にも免税価格というのがあったことだ。楽器屋でよくカタログをもらっては眺めるのが好きだったが、価格の

ところに定価○円
(免税価格○円)とあった。そのことを勉強のできる友達に聞くと、一生に一度だけ、その安い値段でかうことができるんだよ、とわかったような違うような答えが返った来た。そこで思ったのは「ああ、この値段で買えるのは一生に一度だけなんだ」ととても大切な切り札のように思えたことだった。となると、中途半端な値段の物にその切り札は使えない、何しろ一生に一度だから、と何だか勝手に覚悟していた。それについて気になったのでお得意のネットで調べてみたがどういうことか忘れてしまった。たしか、物品税だかなんだか、贅沢品には税金が価格に上乗せされていたようなことが書いてあったような気がする。楽器は贅沢品だったのか。そのほかにおそらくゴルフクラブなんて言うのも対象だったような気がする。たまにゴルフに行ったりしたが、ゴルフは特権階級の物だというイメージがどうも頭の隅にあり場違いな自分を感じるのはそういった認識が根底にあるからだろうか、というよりど下手で楽しむどころか苦行めいたものをゴルフに感じていたからだろうか。以前、仕事上のつきあいでラウンドした人が、私と同じ用ようなど下手だったのに、半年後に90台前半になり、あまつさえ私に説教までしてきたのには驚いた。人づてに聞くとも何か感化されるものがあり、金を惜しまず忙しい中時間もひねり出してみっちりと練習したらしい。凄い、と思った。がそれ以上に、このひたぁ何やってんだ?と呆れた。ああ、私にはまねできないししたくもない、しかし、こういう人で日本はなんとかなってきたんだろうなぁ、と思う。素直に尊敬は出来る。二度とラウンドする事はないが。前半は物品税、後半はゴルフと、映画「フロムダスクティルドーン」のような構成でお送りしました。

2020年9月11日金曜日

粉ものふたつ


粉ものふたつ

 

ちくわぶというのは関東のおでんネタだと最近知った。小麦粉の筒なのだがなるとのようにぎざぎざをつけてある。長いことおでんに入れておくととろとろになる。味をすっておいしい。腹にもたまる。これをたれにつけ込んでみてはどうか。すきやきの割り下ベースの汁をつくり、さっと煮立てた上で斜め切りのちくわぶを投下、そのままほんの少し煮立てて放置。冷めたところで半熟たまご投入。結果。これはこれで成立。山梨県富士吉田市に「吉田うどん」というジャンルのうどんがある。太い極堅のうどんなのだが、限りなく近い。二日目、育つとどうなるか楽しみだ。なお、玉子は七分半(冷水より)で黄身とろとろ。冷水の水中でむくといつもよりむきやすかった。

次はマカロニのはなし。イタリア直輸入と言うマカロニ、螺旋状のものが安く売っていた。昨今話題の水パスタならぬ水マカロニを実験。鍋に水をいれ、そこにマカロニ投入。そのまま放置。水パスタは四時間水に入れるとやっていたのでこちらもその程度放置。乾燥していた時のくすんだ飴色からクリーム色にマカロニは色変わり。摘んで食べると生食感。実験成功。出来合いのクリームソースも買ってきたので、それとベーコン、チーズを混ぜて加熱、マカロニチーズ様のものを子供たちと楽しみたいと思う。ハイ炭水化物食生活肥満コース。 

2020年9月10日木曜日

名前に使う字

 


 名前に使う字

きらきらネーム全盛のいま、どんな字を名前に使うか、何でもありなのかもしれないが、名前に使われると違和感のある字は無いだろうか。私の場合は森友学園問題で話題になった首相夫人付きの職員の字に使われる「査」という字が、どうにも何故? と不思議に感じてしまう。調べてみたが「しらべる」という意味以外に当たれず、浅学な私はどのような思いでつけられたのかわからないまま、勝手に「査問委員会」などと思い浮かべてしまう。ほかに、不思議と言うより裁判の裁なんて字は人名には向かないと思う。「裁哉」とか。ほかには「屋栄子」とかいたら申し訳ないが、屋という字。あくまで個人の感想なのでお許しを。ほかにも考えてみる。「髪」「神」「不」(漢語的に使われた名前の人を知っている)「非」「火」「求」「残」(のこり、と読ませたりして)「猿」などなど。暇つぶしに考えてみるのもいいかもしれない。あるいは個人的に違和感のある漢字を使った名前を十名(名前の単位は「名」か知らないが)考えて、句会のように競い合うとか。「火不魅」(ひふみ・・火に魅せられることがないようにこの字にしました)とか。止可とか。

2020年9月9日水曜日

聞いてないよ

 聞いてないよ

 


聞いてないよ、と言われ、言ってないから、と思う。仕事上での「聞いてないよ」は得てして大きな問題になる。聞いてない=蚊帳の外=仲間外れ。どちらかと言えばそのラインでへそを曲げてしまうパターンが多い。私は、あまり気にしない。思い入れが薄いというのもあるが、結果がよければいいと思っているから。失敗をもくろんで先走りするひとはおそらく基本いない。連絡が前後した、筋を誤った、その程度のことだと思う。無断で話が進んでいたことなど数限りなくある。蚊帳の外に置かれることもしばしばあった。不徳のいたすところだろう。そしてうまく行かなかったときに責任を負わされたこともある。その上、当人は謝らない。オオケイ。なるようにしかならない。人と関わるからそうなる。関われば必ずそうなる。そして、その関係を続けて行かなくなってよくなってもなお、人間関係を広げていけるか。器の問題だ。

2020年9月8日火曜日

粉っぽい


粉っぽい

 

食べ物が粉っぽくなくなった。舌触りがよくなったというか、癖のある粉っぽいカレーが懐かしい。上にグリンピース(これもどう言うわけか粉っぽい)がのっていて、コップに入れたスプーンとともに供される。いまでもあの粉っぽいカレーの匂いはたまにどこからか匂ってくることがある。ただ、外食でカレーを食べる気にならないのはなぜか。ごはんのうえにカレールーをかけたものという、盛りつけの手軽さが外食に似つかわしくないとどこかで思っている。外食するなら、メインの品に付け合わせ、スープや味噌汁などの汁物がついていないと、とただ単に貧乏性なのだろうが、ラーメン単体、カレー単体、と言う外食はあまりしない。従って、昔ながらの昭和のカレーは、東京下町の古くからの喫茶店などにひっそりと温まっていそうだが、まだ、探索には着手していないし、するかどうかも怪しい。やはり、自分の中のたかがカレー、という思いが行動を妨げる。ひととき、自分で再現できないだろうか、と缶入りのカレー粉を何缶がアマゾンで取り寄せてみた。一番近いのは定番のS&Bの赤缶だった。しかし、少し苦いような、鼻に抜けるような、昔のカレーの癖の片鱗は窺えるのだが、辛く、香りも洗練されている。そうだ、洗練されている。今のルーものは小麦粉を感じさせない洗練された味になっている。たとえば、ハウスのクリームシチューも先日食べて愕然とした。あのしょっぱい、粉っぽい感覚はどこいった? たまたま作り方がいつもと違ったのしれない。牛乳を入れすぎたとか、煮込む時間が短かったとか。粉なっぽいルーは冷めたときにひび割れる。カレーもシチューも割れる。膜が張り、それが破ける。艶消しの表面の膜の裂け目から、冷めていない中身がトロリとのぞく。スプーンで差し込み、口に運ぶ。カレーの場合は米とともに。シチューの場合は、単体で。そしてその後にご飯を追い運ぶ。シチューに関してはご飯にかけてしまいたくない。おかずといえるか微妙な食べものだが、小さい頃、それはおかずとして認識されていた。父はシチューを食べなかった。農の出の父には家畜の餌に見えるらしかった。白いとろみの中にみえるオレンジの人参。人参も昔に比べ癖がなく甘くなった。ピーマンも、トマトも、牛蒡ですら。嫌いな部分は改良されてきた。と言うことは、カレーの粉なっぽさや癖味は、改良されるべき部分であったということか。多数決では少数派は多数に従う。多数決と資本主義。たかがカレーで何を世迷いを。そういえば肉も昔は今より堅かった。それで固まりの肉は嫌いだったのだ。豚肉も癖がなくなった。そして柔らかくなった。そのうち、何もかもが甘く、柔らかく、そして手軽になるのではないか。食にこだわりのなかった私は、若い頃はそれでもよかった。しかし、一度一度の食事に「おいしさ」というよりは「充実感」を求めるように年とともになっていって。食事で「損失感」を味わいたくない。癖もまずさも、「かみしめ」たい。父は経口での栄養摂取ができなくなり、食事がかなわず死んでいった。いま恐ろしいのは感覚器官が、特に目と口がだめになっていくことだが、誤嚥気味にむせることが多くなって、五十過ぎて。 

2020年9月7日月曜日

貧乏神

貧乏神

 


仕事をしているときに何度か貧乏神にあった。貧乏神は話しているうちにわかる。まず、馬が合わない。そして、最後にいやな気分で終話することになる。一度、貧乏神に捕まると次々に厄災が降ってくる。以前にした処理のミスが今頃発覚する。それが続く。その火消しに当たっていると厄介な仕事を絶妙のタイミングで振られる。そんなことが重なる。こうなると一日に最低ひとつは嫌なこと、不快なことがある日が続く。短くて一ヶ月、長いと三ヶ月ぐらい。何で俺だけ
? それは貧乏神にかかわってしまったからだ。貧乏神はたいてい自分のことだけで精一杯だ。そして、取り越し苦労をして起こってもいないことを過度に心配し、その対応を求めてくる。自分の考えを曲げない。それが正しかろうと正しくなかろうと。自分の価値観で生きほかを認めない。うちにもそとにも貧乏神はそこここに潜み、こちらに迷惑をかけようと言う気もなく迷惑を振りまいてくる。たたりはしばらく続く。そしてある日突然消える。そうすると嘘のように何も起こらない平穏な日々がくる。ミスに見えてもOKだったり、リカバリできたり、思いがけずいい商談が続いたり、すくなくともストレスが比較的少なく過ごせる。以前は貧乏神にとり憑かれたときは年休を取ってリセットできたりしたのだが、ここのところそれも難しくなり、ひいては仕事をしているから貧乏神にとりつかれて嫌な思いをするという思考に至り、袋小路にはまりこみ、もうあんな思いはしたくない、と辞めた理由の大きな一つ。 

2020年9月6日日曜日

9/4 資産配分状況


日本国債 12.04

外国債券 0.89

米リート 5.66

ワールドリート 0.48

Jリート 11.50

アジアリート 0.53

バランス 0.02

米国株 5.42

世界株 2.11

日本株 0.42

日本レバレッジ 2.85

米レバレッジ 10.89

日本ヘッジ 1.51

米ヘッジ 0.00

日本個別株 13.09

現金 32.55


日本国債投信を預金替わりに購入

米系レバレッジ下げたら買い

NTT(個別株)100株買い

JT オリックス 日本国債投信を買い増し予定

 

9/4現在投信保有状況


損益(%)    ファンド名    前日比(%)

-67.23 SBI-SBI 日本株3.7ベアIII 4.75

-12.78 楽天-楽天日本株3.8倍ベア 4.86

-12.58 SBI-SBI国内REIT ダブル・ベア 1.22

-11.76 フィデリティ-フィデリティ・Jリート・アクティブ・ファンド -0.84

-8.94 ピクテ-ピクテ・グローバル・インカム株式ファンド(毎月分配型) 1.81

-3.85 三井住友DS-アジア好利回りリート・ファンド

-1.54 日興-グローバル3倍3分法ファンド(隔月分配型) -1.07

62.28 大和-iFreeレバレッジ NASDAQ100 -9.82

40.43 大和-iFreeレバレッジ S&P500 -6.60

35.01 SBI-SBI日本株4.3ブル -5.49

22.84 農林中金-NZAM・レバレッジ 米国株式2倍ブル -6.59

12.05 レオス-ひふみワールド+ -3.01

11.91 レオス-ひふみプラス -1.74

11.39 アライアンス-アライアンスバーンスタイン米国成長株投信D毎月H無予想分配金提示型 -3.97

9.56 三菱UFJ国際-eMAXIS Slim米国株式(S&P500) -3.56

9.54 楽天-楽天・全米株式インデックス・ファンド -3.55

9.06 SBI-SBI・バンガード・S&P500インデックス・ファンド -3.51

8.63 大和-iFree 外国株式インデックス(為替ヘッジあり) -2.94

8.09 ブラックロック-iシェアーズ 米国株式インデックス・ファンド -3.51

7.92 One-たわらノーロード 先進国株式<為替ヘッジあり> -2.94

7.39 ニッセイ-<購入・換金手数料なし>ニッセイ外国株式インデックスファンド -3.02

7.30 三菱UFJ国際-モルガン・スタンレーグローバル・プレミアム株式OP為替ヘッジなし -3.00

7.21 三菱UFJ国際-eMAXIS Slim 先進国株式インデックス -3.02

6.73 三菱UFJ国際-eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー) -2.64

6.43 インベスコ-インベスコ MSCIコクサイ・インデックス・ファンド -3.01

4.92 三菱UFJ国際-三菱UFJ Jリートオープン(毎月決算型) -0.68

4.79 アムンディ-アムンディ・日経平均オープン -1.11

4.27 大和-ダイワJ-REITオープン(毎月分配型) -0.67

3.94 野村-野村ブル・ベア セレクト8(米国株スーパーブル8) -5.10

0.08 三菱UFJ国際-eMAXIS Slim バランス(8資産均等型) -0.81

0.03 日興-ノーロード日本国債フォーカス(毎月分配型) -0.07

0.03 大和-ダイワ日本国債ファンド(毎月分配型) -0.05


覚書

前日比約-3%

S&P500インデックスとレバレッジ S&P500の比較では 後者の方がヤラレが少ない

先週比較で日本株はやや上昇

Jリートはほぼヨコヨコ

米は2連下落なのでもう一日連続下げならヘッジをした方が無難か しかし金額が大きく迷う

見通しは基本楽観 しばらくはごたつくかもしれないが


 

2020年9月5日土曜日

筆を選ばず

 筆を選ばず

 


すごい人はどんな道具でもすごいのか。たとえば、楽器について言えば、オスカーピーターソンというジャズピアノの巨匠がいるが、晩年よく共演していたギタリストのメインギターが、日本メーカーの100ドルのギターだったという例がある。また、ヴァンヘイレンのギターもやはり、くず同然のものをくみあわせて作ったものだと聞いた。また、ドラマーの村上ポンタ氏はどんなセッティングのドラムでもうまく叩いてしまうと読んだことがある。一流の人とはそういうものなのか。遙か昔の記憶だが、私に関してはヤマハのプロモデルのドラムより、当時でもすでにオールドモデルだったパール楽器のモダンジャズというモデルを徹底的に叩きやすいようにチューニングとセッティングをしたものの方がはるかにうまくやれたと思う。ただし、音まではもう覚えてはいない。しかし、昔のパールドラムはドコドコと独特の音がした。バレンシアというエントリーモデルでドラムセットを始めたが、初めてのドラムだったせいか、それがしばらく自分の基準トーンになっていた。かなりいい音だったと記憶している。楽器は高ければいいと言うものでもなさそうで、曲によっては段ボールを叩いた方が合うなんて言うこともあり得る。しかし、いい音が出せる、どんなセッティングでも叩けるという達人の域に達するまではやはりある程度の楽器の方が扱いやすくそれで基礎をきっちり練習した方が上達も早いのではないだろうか。マーチンのD28は、音についてはとにもかくにも、主観だが、ものすごく弾きやすかった。うまい下手は別として。

2020年9月4日金曜日

どないすんねん


どないすんねん

 

ポメラの新型DM200、どんな案配かとアマゾンのレビューを読んでいたところ、電池が内蔵式になってしまったと書いてあった。あかんやん、と思う。たとえば、私の場合はあまり想定しない状況ではあるが、出先で電池が切れたらどないすんねん、となぜか文句を関西弁で筆記している。単三電池二本、充電式使用可。これがポメラのいいところなのに。未だにコピーペーストのやり方も分からず、文章構成一発勝負で、変換ものすごくお莫迦、欠点だらけの入力ガジェット。下手にワイファイなんていらんねん。お利口もそこそこでええねん。どうせあとで、PCを通すのだから。最新式が最善とは限らないのがこの手のツールの悩ましいところ。今は、いろいろな情報が調べられるので買い物の失敗は以前に比べて確実に減った。といっても、実際に使って見なければ本当に失敗だったのかどうかはおそらく分からないものだろうが。結局気になって新式旧式両方買ってしまったりすることもまれにあり、使う人間は一人なのに同じようなもの沢山かってどないすんねん。仕事を辞めるときにこれから私服が正装といい気になっていくつもジーパンを買ったら、妻に「足がいったいいくつあるの?」と言われた。こういう人、私だけではないやろ。せやろ。

2020年9月3日木曜日

我が飲酒来歴


我が飲酒来歴

 

酒を完全に絶って五ヶ月。といっても、もともと酒が得意な体質ではないので、不都合も苦痛も、全く感じていない。ただ、先日、アルコールをどっさり吹いてトイレ掃除をしたら酔っぱらったような状態になり、午前中を棒に振った。おかげでトイレはすっかりきれいになったけれど。ああ、飲まされなければ、酒、飲まない。思えば、いつも飲まされていたような気がする我が飲酒来歴。今は、大学でも二十歳を超えない学生はソフトドリンクだそうですね。信じられない。確かに法律ではそうだけど。それでは、先輩にさせられた一気勝ち抜け競争、あれはいったい何だったのか。なみなみと注がれた温いビールをせーので飲み干して、タン、とグラスをテーブルにおいて「ああおいしい」と言いにっこりと笑う。そこまでのスピードで勝ち抜け。あれで何度、一晩中胃が裏がえるほど逆回転したことか。しかし、学生のうちは強くならなかったのに、就職してからは自分としては見違えるほど強くなった。といって、酒好きの日々の晩酌程度のレベルだが。まあ、社会でも飲まされた。酒は何かにつけて出しゃばってきた。ここで飲む? という場面でも酒だった。おそらく、まもなく酒に対してのバッシングが、たばこと同様に始まることと思う。酔っぱらいが町を千鳥足でふらつく姿が白眼視される時代がくるのだろうか。酔ってもしゃんとせえ、と酒に弱くても飲まされたのに怒られる時代がくるのかも。しかし、強制飲酒自体が問題となる方が先か。どうでもいい。ただ、下戸としても、一年間は、人生において禁酒した期間を記録としてつくっておきたい。一年間酒を飲まない期間を過ごしたことが無いから。この際。
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といってもう禁酒4年目です

2020年9月2日水曜日

気の持ちよう


気の持ちよう

 

日曜の外出は出来るだけ控えたかった。月曜の仕事に差し支えると思った。しかし、実際は、明日が仕事と憂鬱で眠れず、睡眠不足で月曜を迎えることも多かったので、本当は日曜に遊び歩いてもパフォーマンスに変化は無かっただろうと思う。確か、日曜の夜、というか曜日月曜に入って、TBSドキュメントという番組をやっていた。ピーターバラカンが司会、アシスタントは何人か入れ替わった。今もBSの方でやっているのだろうか。だいたい、三つくらいのエピソードを紹介していて、三つ目は話題の人物紹介だった。それ以外は、アメリカの抱える様々な問題を取り上げていた。二つ目までで眠れればいい方だった。休日の終わり、悶々とテレビを見て寝床で過ごした。日曜に外出している人は凄いと思う。様々事情があるだろう。また、アクティブな人は、休日に友達と楽しく時を過ごすことでパワーが充電されるのかもしれない。そういう人は、会社でもおそらく大活躍だ。人生、充実しまくっている。スケジュールが詰まっていないと気が済まなかったりする。凄え。おそらく私は、自分が最もしたくないであろう仕事に、何の因果か分からず就いた。二度目の職場だったから、もうやめることは許されない、ここに骨を埋めるとやってきた。仕事が合う、仕事が好き、そんなの自分次第と心の持ちようだが、そういう心の持ちようにならなかった、とうとう。自分なりに役目は果たしたとは思うがどう思われているか分からない。そして、今は、日曜の夜悶々とすることは無い。むしろ、相場の始まりが待ちどおしく感じる。これが、組織で、同じことを職場でやるとなるとそうはならないだろう。これもまた、気の持ちようかもしれないけれど。

2020年9月1日火曜日

甘いものが嫌い


甘いものが嫌い

 

私は甘い物が大好きだ。甘さ控えめなどと気取らず、しっかりと甘くていい。甘さ控えめの方がおいしい物も中にはある。しかし、チョコレートなどは下手にビターでなくていい。ミルクチョコ、明るい茶色の甘―い奴。舌に溶かすと何か、脳に悪そうな味覚が口いっぱいにひろがり、しばしの官能を頭蓋いっぱいに感覚する。甘い物は癖になるという。普段はあまり口にしない。しかし、しばらく口にしないと舌が欲する。刑務所など、食が自由にならない環境ではどんな悪党も甘いものに焦がれ、とろけるというのは良く聞く話だ。しかし、甘い物が苦手、という人間がいた。直近まで同じ部署にいた。客先でちょっとしたお菓子をもらったりする。そのとき、甘い物が苦手、などといって人にあげたりしている。その様子を見ていつも私は苦々しく思うのだった。まあ、私はその人物を好きではなかったから、何をしたとしても気にくわないのではあるが、甘い物が好きではないことを何だか、アピールしているような気がして、何だ、一体、と感じているのだった。ここまでくると完全に妄想の領域ではあるが、大の男が甘いものを好きではいけないのかい? え? 何かい、そんな甘ちゃんの言うことは聞けねえって言うのかい? などと、よく心で毒づいたりしていたが、今となってはもう一生関わり合うこともあうこともないかと思うのでまあ、どうでもいい。私が快く思っていなかった人間が甘いもの嫌い。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、何をやろうとそいつが不快。そういうの、よくないと思う。が、そんなことは組織では本当によくあることで、組織にいなければその感情は極力排することができる。それだけ。