Translate

2020年10月31日土曜日

キーボード

 キーボード

 

鳴る。といっても音階ではない。かちかちと音がするPCの方。キーボードエンター音うるさい問題は浮上しては鎮静するが、直近のユニットで浮上していた。退職一年前に移動した部下がいて、その部下のおかげさまで私は慢性胃炎を患ったらしいのだが(胃の調子が悪いとは感じていたが、相当お仕事忙しいですか? と云われ、はぁ?


と思いつつ思い当たったのは当該部下の存在だった)そのキーボード音のうるさいことといったら。今思えば、いくつか気に障る置きみやげを残していったが、キーボードの爆撃音、とくにエンターバチコーン、と、仕事中にぽりぽり音のするものを食べる(煎餅など)は他の部員にも敷衍して、その後一年退職するまで苦々しく過ごす羽目になった。そもそも、キーボード音の問題は仕事が徐々にPC主体に移っていく中でたびたびビジネスマナーとして上がってきたことで、静かに叩くのは暗黙の了解となっていた。そこに平成生まれが職場に入ってきて、暗黙の了解とか、気を回すとかそういう目に見えないものの比率が仕事においてどんどん低下していった気がする。そう思うのは善し悪しの問題ではなく、相容れない価値観の衝突なのだろう。いつでも自分のことは棚に上げ、人のあらが見えてしまうのが何しろ器の小さい証拠で情けなくもあるが、そして、いまはもう云う術もないのだが「キーボードを静かに打て!」と一度彼女に云いたかった。


//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
まごうことなき老害

2020年10月30日金曜日

平日の世界

 


平日の世界

 

街に出てみると年輩者の割合が本当に増えた。以前は男性ひとりの年輩者が多かったように感じていたが、いまは老夫婦も多い。中年というか初老というか、そのような年齢の私が夫婦で歩いているとやたらと老年男性と目が合う。なぜかその視線はきつく感じる。「おまえは平日に何をこんなところでぶらぶらしている?」と上司的線を感じるのは被害妄想というものだろうか。平日には平日の世界がある。おまえはまだ早くないか?と。はい。早いです。とでも誰にともなく開き直りたくもなるが、そもそも平日に何もしていない事を罪悪と感じる長年の勤め人の心根に由来して勝手に後ろめたく感じている。故に、土日は街に出ても別に何も感じないし、そもそも土日の世界は休日の世界であり、休日のある人生を送っている人のものだ。そこに何食わぬ顔で紛れる。おなじ平日でも、土日以外が休日ならば、平日の世界からの視線も全く気にならなかった。というか、そもそも平日の世界からの視線などと言う存在しないものを感じることもなかった。休日出勤が多く、平日に休むことも多々あった。そのときの晴れ晴れとした平日の世界は失われてしまった。そういう生活に足を踏み入れたのだ。

2020年10月29日木曜日

代替可能

代替可能


 

取り替えが利く場所に身をおいてきた。特に自分でなくてもいい。ここぞと言うときに仕事に穴を開けたことはほとんどないが、あけた人間のフォローに回ることはあった。従ってここぞというときも代替可能だったと思われる。組織は回らなければいけない。誰が抜けても傷が治るようにいつのまにか元通りになっていなければ。その点では組織としてきちんと機能している。ただしばらくしわ寄せはあるだろう。それも人事体制が変わるまでだ。そして痕跡はなくなり、忘れられる。いつまでも覚えていてほしいのか、忘れてほしいのか。それも大したことではない。もうそれぞれの暮らしは始まったり、そのままだったりして季節も日々も過ぎていく。 

2020年10月28日水曜日

送別会


送別会

 

送別会をしてもらった。ありがたいことだと思う。退職者2名、異動者2名、役員、総務部長。よく使う店。前段で永年勤続感謝状と旅行券をもらった。早期退職でもそのようなものをもらえるとは。意外だった。ありがたくいただく。飲酒はほぼ二ヶ月ぶりた。送別会だからと言って別にどうという事はなく、普通の飲み会だ。不平や恨み言、いっさいなし。あったとしても言わない。もう辞めてしまうのだから今更どうでもいい。私とともに早期退職に応募したひとが今後どうするのか、別に気にしても仕方ないが気になっていたので尋ねてみたところ、しばらくはのんびりする予定で今後のことは決めていないとのことだった。自分の金額算定からそのひとの金額を想定してみたが、ひょっとすると、今までの蓄えと所有住宅の売却とあわせて、今後は働かなくても暮らせるのかとも思えた。そのひとは独り身なので想定生活費は私の五分の三程度で済むのではなかろうか。まったくのひとごとだが。辞める人間と異動する人間での送別会とは送別の趣旨がまるで違うが、まあ、その程度のものなのだろう。去っていく人間などどうでもいいだろう。こちらが自分の去ってゆく企業がどうなっても別にどうでもいいと思う程度、あ、いや、困る。退職金の一部を年金として置いてきたのだから、あと25年存続してもらわないと困るのだ。そうすると操業約100年。老舗入り。可能か。まあ、がんばってほしい。個室でたばこが煙くて弱った。帰りの電車で不動産投資をしている異動する同僚と投資観を話し合いながら帰った。サラリーマン大家としてはいま気鋭の男だ。ラインの交換で二人、よくわからぬままスマホをふるふると振っていた。酔いは頭痛に変わっていった。

/////////////////////////////////////////////////

というのが3年半前のことです

これ以来 酒を飲んでいません 

2020年10月27日火曜日

相場のいらいら


相場のいらいら

 

夢のように資産が増えていく相場というのはそうそう訪れない。記憶では2014年にそういう相場があった。そのとき、精神的にどん底で、無理をしながら毎日胃をおさえつつ職場に行っていた。小さい分室に異動させられていたので、話し相手も相談相手もなく、ひとりで苦しんだ。しかし、裏腹に仕事は順調で忙しい、相場もみるみる資産が増える、そういっためずらしい状況を経験した。といっても今までの負けが半分に減っただけだが。そして、いつもは小動きのいらいら相場が続く。為替は動いてもゆくゆくは戻り、そのたびにロスカットで資金がやせてゆく。そのままにしてある投資信託は信託報酬手数料ばかりとられ、大きく下げ、戻りは鈍い。これ以上減らしたくない、と一進一退を繰り返しているときに、突然、悪材料がふってわいて大幅に下げがくる。本当に腹が立つ。しかし、どうにも身動きのしようがない。そういうときには下げの途中に買い増ししてフルインベストのことが多い。そしてこういうのを「へたくそ」という。へたくそを棚に上げて機嫌を悪くする。ディスプレイを叩き割りたくなる。実際、ディスプレイやマウスを何度も壊した、という有名個人投資家の話を聞いて、うまくてもへたでも画面に八つ当たりするんだな、と妙に納得する。うだうだ、いらいらとする事が多い。待つことも多い。しかもうんざりするぐらい心理的に長く。人が思っていることがチャートにでる。だからといって思うとおりにはならない。誰もが損失を抱えているときに自分だけ利益をあげるというのは本当に難しい。せいぜい損失が人より少なくやれるくらいだ。反面、相場がいいときはだれでも儲かっている。樹液に虫がたかって枝がたわんでいるような状態。まもなく樹液は枯れ、たかっている虫は枝の張力にはねとばされる。そのまま死んでしまう虫もいれば、振り落とされずに踏ん張れた虫もいる。虫にはより大きな黒い鳥が襲いかかる。烏ではなく、黒鳥という。珍しくも何ともなくなった。いらいら相場の上空をゆうゆうと旋回している。 

2020年10月26日月曜日

早期退職同期

 


早期退職同期

 

このたびの早期退職は90人の募集に73人の応募があったとのことだ。退職同期が73人いる。そのうちの3人は所属する事業所から出た。ほかの二人の理由を知らないが、私からすればとても意外な人物だった。そんなものだろう。私の考えている人間は辞めず、そして私の考えは多数者のそれとおなじ。辞めてほしい人間の中で辞めたのは私だけだ、などと思っている人間が少なからずいるかもしれないし、いないかもしれないが、いずれにしても辞めたくて辞めた。イヤなら辞めろ。それが自分の考え方だからいやなので辞めた。イヤでも我慢をする理由が限りなく薄まったから。ほかの人たちはどうなのだろう。居たければ辞めないと思う。仕事上の問題か、人間関係か、家庭の問題か。複合、単一、あるいは理由なしまたは限りなく理由が薄いか。誰が辞めるのかわからないので、孤独。どうするのか。気にしても仕方ないが、気になる。再就職? 家庭? 自営・起業? しかし同じ会社に居たと言うだけの他人に同期の連帯感はない。早期退職同期会があったとしてもあまり楽しい会ではなさそうだ。なにかしらを抱いて辞めていくのだから。来年度は大きく機構が変わる。新人も大量に採用するらしい。私としては企業としてのピークは過ぎたと判断している。それなりに知られるようになり、見た目には好調に見えなくもない。ここで回復が図れるのか、辞めていく人間として、気にはなるが、まあ、どうでもいい。

/////////////////////////////////////////////////////
辞めて三年半
企業年金やら何やら老後資金を預けているのでつぶれられると困る
CMも見るのでとりあえず順調そうだ

2020年10月25日日曜日

10/23現在の資産保有割合


 日本国債 11.99

外国債券 0.89

米リート 5.69

ワールドリート 0.48

Jリート 6.49

アジアリート 0.53

バランス 0.02

米国株 5.28

世界株 2.09

日本株 0.44

日本レバレッジ 3.68

米レバレッジ 15.88

日本ヘッジ 0.38

米ヘッジ 0.00

日本個別株 15.02

現金 31.11


すこしずつ米レバレッジを増やしている

米方向感なく成績ぱっとせず


年初来 1.82% プラス

年利換算 2.23%


2020年10月24日土曜日

全員いる

 全員いる

 

長休みになり、平日から一家が全員揃っている。本来ならば、私が出社するので妻と子になるが、これからは春、夏、冬とこのような機会ができる。私が普段過ごしている姿を子供も見ることになる。いくら三十年働いたとは言え、あまり子供に見せられた姿とは言えない気がする。姿勢的には一番楽な形ですごすのでふんぞりがえり気味に座椅子に胡座し、二枚のディスプレイに映った為替などを見ている姿はとても実務には見えない。これが労働の姿と思ってもらっては困るような気もするが、会社に行けばいいと言うものでもない。私がやりたいのは成果が目に見えることだ。数値での成果が一番見えやすくて好きだが、何かを作ってそれを売り対価をいただくのもやってみたい。いずれにせよ今の姿を子供に見せたくないというのは疚しいところが自分にあるからなのだろう。書いても今のところ対価にならない。身の周りを整理してみてもいままでの散らかし放題をただしているだけだ。相場は操作できない。ちょこまかと動くことが自分の性格上得策でないことはよくわかっている。待つ、耐えることも重要な仕事なのだ。そして娘は本当なら部活にいく予定だったが珍しく熱を出して横になっているが、娘はこの一年皆勤で通した。春やすみに入って気がたわんだか、しかし部活も休みたくないと言う。私以外で風邪を回しあっている。ストレスが大幅に減ったせいか免疫力が高まっているようだ。長年の爪水虫が治っていた。

////////////////////////////////////////////////
コロナ前の春先のことです

2020年10月22日木曜日

退職前後


退職前後

 

三月三十一日

本日をもってサラリーマン生活を終了する。二度と勤め人にならないよう精進したい。


四月一日

本日から無職となった。今後は資産運用と取り崩し、持ち物の売り食い、ネットその他での作業のマネタイズ化により生きていきたい。資産生活者として生きる。二度と人から使われず、使わないで、幸せに暮らせれば私の勝ち。


三月三十日

いよいよ退職が明日に迫った。年休の消化で長いことやすんでいたが、まだ、身分としては組織人だ。明後日からは何でもなくなる。嬉しくも怖い自由人だ。ずっと自由を求めてきた。それがいまいつまでかわからないが明日を越えれば手に入る。身分なし、単なる人間。もう一度生まれ直す。それを余命が長いうちに実現できてよかったか、そうではないか。明日は一つ、捨てぜりふでも吐いて職場をでようかとも思ったが、捨てぜりふを吐いて幸福を感じることはないだろう。この決断が私と家族を幸福に過ごさせることになるのが一番の、いろいろな意味での「お返し」になるだろう。おそらく、自分は自分なりの幸福を追求して生きる。そしてそれが自分を満足させ、家族を満足させ、少しだけ誰かも役にも立てたりすれば誰も手にすることができない、金銭でも手に入らない最上の人生を手に入れることができるだろう。それは主観的なものだから人からどう見えるかわからない。どう見えてもかまわない。誰にも私の人生を生きることはできない。それだけは唯一無二だ。 


/////////////////////////////////////


2020 10/23現在

賃仕事稼働時間0時間

ネットマネタイズ収益 101円

無職期間3年7カ月

なーんにもしていないとこんな感じです


///////////////////

2022.5.8現在

無職期間5年1カ月

賃労働時間0時間

とうぶんずーっと休みです むろん明日も会社にはいきません

雑誌について

 


雑誌について

 

いままでいろいろな雑誌が発刊され廃刊になった。その中には伝説の雑誌としていまだに口のはにのるものもあればその時代のながれでぼわっと次々に芽を出してそのまま枯れていった草のような雑誌もたくさんある。雑誌はおそらくあたれば大きいのだろう。コンビニに並べば、なんだかわからないが買ってしまう。そういうこともあっただろう。四コマ漫画がものすごくはやった時期があった。バブルがはじけて数年と言った頃か。なんだかの四コマが爆発的にヒットし、それを追いかけてさまざまな漫画誌がコンビニに並んだ。ほのぼの系の家族で楽しめるものから、下ネタ系、さらにマニアックなものまで次々に発刊された。私はあまりほのぼの系には興味がなくかといって下ネタ漫画では刺激がたりず、どのような層をねらいどういうコンセプトで発刊されたのかがわからないようなものを好んで買った。というより割と手当たり次第に何でも買っていたのでそのなかにそういう雑誌が混ざった。「まんがガウディ」「まんがシャレダ」「まんがジャパンダ」聞いたことあるだろうか。当時の雑誌はほとんど捨ててしまったが、これらは後にネタになる(何の?)と思いとっておいた。作家陣は知った人から知らない人までさまざま、絵のクオリティも落書きていどのものから、いまでも生き残っているひとのものまでとりどり。いずれはこのような雑誌、本なども商っていきたいと考え、ためしに「まんがジャパンダ」をネット検索してみたところ全くプレミアがついてなかった。順当なところか。

2020年10月20日火曜日

古いヤマハの安いギター

 古いヤマハの安いギター

 

国産ギターが完全コピーを極めようとしていた頃、本家からのクレームか、ヤマハのレスポールモデルはヘッドの形を少し変えるなど独自レスポールに舵を切り、それが不評と言えば不評だったが、以前にも書いた覚えがあるがそこはヤマハ、作りや音はしっかりと、三十年は経っても全く問題は感じられない。とくに、昔の国産レスポールモデルの中でもセットネックで無いモデルは顧みられず安値放置されているケースが多いが、そんな中、ヤマハのデタッチャブル(今で言うボルトオン?)つまりネックをボディに金属プレートとねじで止めてあるレスポールモデルはかなりコストパフォーマンスに優れると個人的には思う。まず、弾きやすい。そして音がいい。どういったピックアップなのか知らないが、そつが無く、サスティーンが効き、エフェクトの乗りがいい。いまならネットオークションで一万円以下でいけるのではないだろうか。これもまた、以前か書いたが、ジャズプレイヤーの安物使いの名人、ウルフワケニウス(という人だった)はミルトジャクソンやオスカーピーターソンといった巨匠との共演でもアリアのレスポールコピーモデルを使っているのだが、よく見るとなんとネックはデタッチャブルではないか。


セットネックではないレスポールモデルを堂々と。こういう話にぐっと来るのは貧乏性のなせる技かもしれないが、ヤマハの安レスポール、今なら材もこなれていい感じに呻いてくれるのではないか。

2020年10月19日月曜日

勤怠管理

勤怠管理

 


勤怠管理という言葉がひっかかる。勤務はともかく「怠」を管理するというのはどういうことなのか。怠ということばになまける以外の意味があるのかと思って調べてみたが管理にあうような意味が見つからない。ネット検索してみたらやはり気になっているひとがいるようで「怠」の字に引っかかるようだ。しかし、この言葉もいかにも昭和なイメージだ。始業から終業までどのくらい職場にいたか、またはいなくても外勤していたか。時間で職務を計るような。勤怠管理表では本当の「怠」はわからない。欠勤や遅刻などはわかったとしても。そういえば勤めていた職場には出勤簿しかなかった。タイムカードもないし、勤務管理表というソフトに出勤退勤を入れるだけの自己申告制だ。しかし誰もずるはしない。してもばれないがしない。怠の部分はみんなそれぞれつじつまを合わせていたのではないかと思う。昼やすみなどとれないときも多いし、またぽっかりと時間があいてしまうことだってある。それらをならせばだいたい規定通りに収まる。そう思っていたので、うるさいことは言わなかったし、言われなかった。怠はどうでも数字さえ持ってくればよかった。勤怠より成果、結果。それだけ。その時代が本格化する兆しがネット空間のあちこちで囁かれている。 

2020年10月18日日曜日

営業とラジオ

 


営業まわりをしていた頃、車内はラジオが楽しみのすべてだった。私はおもに文化放送を聞いていた。TBS派もいればニッポン放送派もいて、たまにNHKという人もいた。まだAMラジオしか営業車にはついていなかった。のらむらくにまるの朝ワイド(名前忘れた)梶原しげるのほんきでどんどん。吉田照美のやる気まんまん。やるまんはもうしばらく前に終わってしまったが、お助けマンというコーナーが好きだった。馬鹿馬鹿しい無茶ぶり企画なのだが、銀座の舗道に布団を敷いて寝る、とか、お茶の水の明治大学の裏門からはいってそっと薬缶をおいてくるとか、下ネタの言葉を混ぜ込んだ一般人へのインタビューとか、その時間はできるだけアポを避けたものだ。そしてちょうど事務所へのかえりに「おれにいわせろ」というみうらじゅんやえのどいちろうが放談するコーナーがあってそれもおもしろかった。すれ違うほかの営業車でもおなじものを聞いているのか、ふと横を見るとにやにやしたり大笑いしたりしている。あのころは道がものすごく込んでいた。今同じ道を通っても七割程度に時間が短縮されている。景気と交通量には相関があるという言うのが私の肌感覚で、確実に経済は当時より縮小しているのだと思う。外回りから内勤に異動になるとき、やるまんが聞けなくなるのが一番の残念だったが、録音してまで聞こうとは思わなかった。あれほどけなしていた小俣雅子と不倫報道がでたときにひどくがっかりした記憶がある。そのやるまんも遠い番組となり、FMもワンセグも、CDですら聞けるようになり、車が変わってCDが聞けなくなったと騒いでいる部下をみて、何しにきている、と心の中で思ったりしたが何のことはない、昔の自分がそこにいるのだ。

2020年10月17日土曜日

ミニマム

 ミニマム

 

最小とは縁遠いがらくたに埋もれた生活だが、手提げ一つでどこでも動けるシンプルな暮らしにもあこがれる。

必要な物を考えてみる。

まずスマホは必要だろう。これで連絡とネット環境は足りる。ネットはもうそれ無しに生活が成り立たないほど深く生活に絡みついている。

次に電気。ポータブル電源というのを手に入れた。家に居るときのPC電源として太陽光と組み合わせようと思ったが、意外にバッテリーが持たないので意欲がさめてソーラーパネルも買わずにそのままになっている。しかし、自動車を家とするならソーラーと組み合わせて夜の電源として活躍するに違いない。

手提げ一つといいながら、いつのまにかモービルホームを想定している。車ならまだいろいろと充実化が図れる。たとえば寝具。寝袋ではなく平らな床面にきちんと布団を敷いて寝たい。水のタンク。上下着替え下着類3セット(中一日乾かす時間、ちなみに車の中は洗濯物がよく乾く。実験済み)。携帯コンロ。なべ(食器を兼ねる)

考えてみるとスマホでテレビ、ラジオ、ネットを兼ねるのでいろいろとスペースを節約できることに今更ながら感心する。しかし欲をいえばタブレットの一つぐらいはほしい。

それから、ギターは暇つぶしにほしい。棒状のミニマムなギターがある。あとはボンゴとドラムスティック。手でたたいてもよし、ドラムの練習パッドとするもよし。楽器はミニマムでもはずしたくない。

後はタオル二本とビニールシート。これでいろいろと工夫をする。シガーライターから電源がとれるインバーター。あとは、あとは・・・。今のところ思いつかない。

トイレと風呂は持ち歩けないので工夫す


る。ここで重要なことは、車内をカラスの巣のようにいろいろごたごたと持ち込んで生活に染めないこと。おそらく油断するとすぐそうなる。

あとは、好きでその生活を選択すること。いやがをにもそうならざる危険もあるのでこの文がそのときの参考文にならないようにと願う。

2020年10月16日金曜日

みえるか

みえるか

 


見える化と言う言葉をよく聞く。昔透明化といっていたことなのだろうか。

確かに見えにくいことがたくさんある。面倒に絡まった仕事の因果などは、もう釣りで言うところの「おまつり」レベルで今そういった順送りに先延ばししてきたことを整理しなければならない、そういう時代になってきたというのはひしひし感じる。

で、見える化。

だれが何をしているのか。何がとのように進行し、今どうなっているのか。見える化。見たい。みんな見えないものが見たい。見づらいものをわかりやすく見たい。猿でも分かるように提示してほしい。誰もが見て分かるように。自分で考えてやれなんて言うのは昭和の根性論だ。

見える化。今とても重要なこと。

でも今、私はいわゆる組織から降りた。見える化につとめてきた自分に何の感想もない。初めて仕事をしたときには手書きの仕事が多かった。そして、いろいろ機械が現れ、それへの対応を迫られてきた。仕事のシステムも変わった。すべてが記録されちりの様に積み重なり何がなんだか分からなくなっていった。

そして見える化。そのなかに本質がみえるか。などとしゃれの一つも挟んでみたりもするが、見えたものを見ていない自分がいる様な気がする。見える化より単純化を常に望んでいる自分は、一貫して変わっていない。 

2020年10月15日木曜日

孤独の方角

 孤独の方角

 


人の顔を見ていない。外出しても、とくにちらりと見るだけで、とくにまじまじと顔を見ている訳ではない。もちろん家族の顔は毎日見ている。時には子供を見つめたりもする。他の人の顔を見ていない。以前の仲間、決して短くはない期間を過ごしてきた広義での仲間、上司、同僚、部下後輩の好きだった人も嫌いな人も、すっかりと顔を見ない。ともすれば一生、もう見ない。私は、ここまでの仕事人生をきっぱりと忘れる決意をしたので、懐かしく思っても連絡はしない。あの人やこの人の、若い頃から年を取って、しわが目立ってきたり頭髪が薄くなったり白くなったり、病気をして見違えるようにやせたり、あるいは不摂生で太ったりしていく様を、特に希望して見てきたわけではないが見てきた。しかし、もうそんな風に他人を見続けていくこともそうはないかもしれない。少なくとも、三十年の変化を見届ける他人はもういないと思われる。顔をみて話をするというのは少なくとも私にとっては親しい関係の人への礼儀で、半ば好んで、親しさの関係性を放棄し、孤独への方角を選んだ結果、人の顔を見ないと言うことも当然の結果と言える。孤独への方角と、東西南北で言うならば、孤独が北、とは限らない。

2020年10月14日水曜日

舌と耳

 舌と耳

 

偏食と言うこともあり、舌に

は全く自信がない。しかし、だしに魚が使われているのはわかる。形がなければ、別に食べられないわけではない。魚は、原型に近いほど、調理がされていないほど駄目だ。加工されていれば食べられる。そういう意味でわがままな偏食で、しかし、偏食のひとにはどこかしらそのようなところが有ることは共感してもらえるだろう。味がわからない。旨い、不味いの基準の舌がない。多分に育ちという環境が舌を作るのだとは思うが、味の感性は教養だ、というようなことを言われると教養が私にはない。たとえば、一年ぐらい、最上の米や豆腐と、きちんと手の尽くされた味噌汁で暮らしてみれば、この年からでも舌を作れるのだろうか。それとも、名店と言われる店を食べ歩きに歩いて、育つのが舌と言うものなのだろうか。いずれせよ、今の食生活で何の不自由もない。舌が育っていないからと恥をかく機会もない。それと同様に、音に関しても耳に教養がいるのだろうか。オーディオに関して言えば、セットで百万円程度の音は聞いたことがあるのだが、有る程度ボリュームをあげればどんなセットでもそれなりの音が鳴る。また、スピーカーを変えるだけで音は全く変わってくるし、コード一つ、電源一つでもきっぱりと音が変わる。いい音、というのも多分に主観で、そもそも重音楽たるクラシックのオーケストラ演奏を聴かないことには耳の教養などというのもはばかられ、ロックの中のほんの少しのピックのノイズが聞こえたからとそれがいい耳なのかわからない。音も舌も極めたとして、それが極みなのかおそらく私にはわからない。それが自分の教養度の表明なのならば恥ずかしい限りだが私は無教養ということになる。

2020年10月13日火曜日

注文方法

 注文方法

 


株の注文の仕方はいろいろと選べる。言い値で買う成行注文。それも寄りつきの成行で買う寄り成り。前場のひけで買う成行。さらに、後場のひけで買う引け成り。ところで後場のアクセントはご「ば」、と尻上がりではなく、「ご」ば、と頭にアクセントがくるのが正しいのか。聞くとみんな尻下がりで言う。それはいいが、この注文の中で、理解がいまいち難しいのが、引け成り、という買い方だ。一日の終わりに、どうして成行で株を買うのか。私にはその使い方、というかメリットがよく分からない。引け成りでの売り、というのなら分かる。どうしてもその日中に処理してしまいたい株なのだ。そこに至るどのようなドラマがその注文に込められているのかわらないが、明日まで持ち越したくない。ただ、明日へ持ち越すのに引けで言い値で買うというのは、どのようなケースなのだろう。先物が異常に上げ始めて、明日は絶対あがるから今日のうちに買っておきたい、ということなのだろうか。先物など欧米時間でどうなるか分からないし、明日の寄りを見てからで十分ではないかと思うが、長年相場にいる人の渾身の注文、それが引け成りなのかもしれない。そこには、長年相場を生きてきた人にしか分からない相場の魔、あるいは女神が見えて、その注文を夢うつつで出しているのかもしれない。相場には分からない物ばかりそれは沢山棲みついている。

2020年10月12日月曜日

おでん雑炊

 おでん雑炊

 


本シーズン初のおでんに火をいれた。我が家のおでんには昆布、玉子、うずらの玉子が沢山入る。いくら入れても端から子供らが食べてしまう。私の希望は厚揚げとちくわぶ、そしてがんもどき。じゃがいもと大根。そのほかはパックされているおでん種のセット、そして、息子の好きな海老団子を追加、また、娘の好きなはんぺんを追加。味付けは昆布つゆ、味の素、醤油、甘みを足したいときには少し割りした。今回のおでんは、早めに妻に練り物を押しつけた。いつまでも練り物が残っていると、つゆが魚くさくなりすぎる。大抵、三日は食べ続けることになるので、二日目までには練り物をよけておきたい。そして、やったことはないのだが、最後に残った汁をさっとざるに手ぬぐいで濾して、冷やご飯をさっと水洗い、そのぱらぱらのご飯を汁に入れて雑炊を作ってみたい。長ネギか何かを刻んで、さっと溶き卵を回しかけて。以前、キャンプに行ったときに、ご飯がうまく炊けなくて、芯の残ったご飯の鍋におでんをぶっかけて煮詰めた物が、思いの外おいしかった。おでん炊き込みご飯といった体。それもいいが、まずは定番で、雑炊から。ほかの家庭では知らないが、我が家ではまだ試していない。せっかくの出汁のでた汁は最後まで味わいたい。やろう。

2020年10月11日日曜日

ひさびさ 10/9現在の資産配分と今後



日本国債 12.08

外国債券 0.90

米リート 5.74

ワールドリート 0.48

Jリート 7.05

アジアリート 0.53

バランス 0.02

米国株 5.33

世界株 2.12

日本株 0.44

日本レバレッジ 3.50

米レバレッジ 14.21

日本ヘッジ 0.80

米ヘッジ 0.00

日本個別株 14.19

現金 32.57


年初来 2.55%プラス

年利換算 3.3%


来週以降 米レバレッジ系投信に10%程度資金投入予定



2020年10月10日土曜日

ひさびさ 10/9所有投信成績と覚書


-238.75 SBI-SBI 日本株3.7ベアIII

-29.79 ダイワ・US-REIT・オープン(毎月決算型)(ヘッジなし)

-27.67 楽天-楽天日本株3.8倍ベア

-23.24 SBI-SBI国内REIT ダブル・ベア

-22.73 フィデリティ・USリート・ファンドB(為替ヘッジなし)

-22.02 フィデリティ・Jリート・アクティブ・ファンド

-16.45 ダイワ・US-REIT・オープン(毎月決算型)(ヘッジあり)

-14.89 フィデリティ・Jリート

-9.88 フィデリティ・グローバル・ハイ・イールド・ファンド(毎月決算型)

-8.93 ワールド・リート・オープン(毎月決算型)

-8.40 ピクテ・グローバル・インカム株

-6.36 アジア好利回りリート・ファンド

-3.01 グローバル3倍3分法ファンド

-1.04 明治安田日本債券

-0.11 日興-ノーロード日本国債

29.82 SBI-SBI日本株4.3ブル

28.71 大和-iFreeレバレッジ NASDAQ100

24.01 大和-iFreeレバレッジ S&P500

16.15 レオス-ひふみプラス

15.23 アライアンス・バーンスタイン・米国成長株投信Dコース毎月決算型(為替ヘッジなし)予想分配金提示型

13.78 農林中金-NZAM・レバレッジ 米国株式2倍ブル

13.50 アライアンス・バーンスタイン・米国成長株投信Cコース毎月決算型(為替ヘッジあり)予想分配金提示型

11.39 ひふみワールド+

9.69 モルガン・スタンレー グローバル・プレミアム株式オープン(為替ヘッジあり)

9.00 楽天・全米株式インデックス

8.46 eMAXIS Slim米国株式(S&P500)

8.35 iFree 外国株式インデックス(為替ヘッジあり)

8.03 SBI・バンガード・S&P500インデックス・ファンド

7.96 モルガン・スタンレー グローバル・プレミアム株式オープン(為替ヘッジなし)

7.74 たわらノーロード 先進国株式<為替ヘッジあり>

7.41 アライアンス・バーンスタイン・米国成長株投信Dコース毎月決算型(為替ヘッジなし)予想分配金提示型

7.15 ブラックロック-iシェアーズ 米国株式インデックス・ファンド

6.83 ニッセイ外国株式インデックスファンド

6.80 eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)

6.77 アムンディ-アムンディ・日経平均オープン

6.67 Slim 先進国株式インデックス

6.61 モルガン・スタンレー グローバル・プレミアム株式オープン(為替ヘッジなし)

5.93 インベスコ MSCIコクサイ・インデックス・ファンド

4.17 野村-野村ブル・ベア セレクト8(米国株スーパーブル8)

1.81 三菱UFJ Jリート

1.44 大和-ダイワJ-REITオープン(毎月分配型)

0.37 eMAXIS Slim バランス(8資産均等型)

0.00 大和-ダイワ日本国債ファンド(毎月分配型)

覚書

レオス-ひふみプラス マザーズ堅調による上昇か

アライアンス・バーンスタイン・米国成長株投信 相変わらず好調

楽天・全米株式インデックス レバレッジがあると効率いいのだが

iFree 外国株式インデックス(為替ヘッジあり) 好調 下げ少なく戻り早い

いまのところ日米ともにリート不調 バブルになると上がりだすとみている

 

2020年10月9日金曜日

弱気

 弱気

 


投資というか金融商品の取引は、取引の回数が多いほど負ける気がする。意外にも、全く投資に無縁と思っていた母が、勧められるままに買ってきたそれらが、見事にすべてプラスになっているのを父の遺産整理の時に知って驚いた。大した遺産もないだろうと思ったら結構まとまった金額があった。そんなそぶりを全く見せなかったので、ほぼ、人の言いなりだったことは確かだ。今、日中相場に張り付いて、様々な指標を見て、ない知恵を絞っていろいろと試しているが、全くうまく行っていない。さすがに、総資産の十パーセント以上をこの短期間で失い、弱気になってきた。おそらく、株など、いつ買っても一緒なのだ。どのくらいの期間がかかるのか分からないが、いつか、下がっても元に戻る。現物でやる限りは放置しておけばいいのだ。ただ、儲かりやすい時期というのは絶対にある。おそらく、今、金融緩和で世界中にお金はあふれている。その金が一斉に引き上げられたときが一番怖い。その、一番怖い所をうまく避けて、通常運転にかかってきたときに買って、放っておけばおそらく勝手に資産は増えている。頭では分かっても心が言うことを聞かない。弱気の時はなおさら、何をじたばたしてもだめなのに、分かっているのに無駄に気をもむ。

2020年10月8日木曜日

ニッポンいまだに

 ニッポンいまだに

 

近頃増えてきた論調だが、

もう日本は終わっていると。東アジアの盟主のようなふるまいをしてきたがもう時代が変わっていること、それに気づいていないのは当の日本人だけだと。日本凄い、の番組や論説はそれらの日本人への慰撫であり、とうに数段進んでしまった中国の間抜けなところをことさらにあげつらっては笑ってみたりと、今までの日本の自信、余裕みたいなものはこの三十年近くの間にとうに使い果たしてしまったのか。いまだにの国ニッポン。いまだに現金、いまだにファックス、いまだに過労死、上がらぬ生産性、いまだに預貯金。レトロの国ニッポン。駅や道路、橋、住宅群、もう出来てから五十年の建造物たち。いまだに専業主婦、いまだに子育てすらままならない。かつて七つの海を制覇した国が没落したが、日本は東アジアの覇権を制覇したかせぬかにオリンピックとオリンピックの間に高い波をもち引き潮となってしまった国なのか。と、威勢のいいことを言うつもりはダウナーな私としては全くなく、また、そのような難しい議論や対策について大所から語るほどの何の資格も持ち合わせていない。このような状況がもしも、日本に対する世界的な認識になっているとして、それを打開すべく何かの大胆な方策や勝負に打って出るか、あるいは状況を受け入れてこじんまりと変わりようのない田舎の景色のようにそのまま自然の芽吹きと枯れ葉を繰り返して過ごすのか。当事者意識を欠きつつも何かしら考えることは止めないで最適化を目指して行くのはとりあえず個人の営為からにほかならない。

2020年10月7日水曜日

世界の体温

 世界の体温

 

投資をやっている人

はおなじみ朝の経済ニュース。佐々木アナはきっちり
NY勤務を三年こなして、今や堂々たる経済アナだ。うちではあっこ姉さんと呼んでいるが、読みも話も噛むこともなく、ぱりっとしてかっこいい。で、その合間にCMが入り、「経済はこの国の体温でもある」などとやっているのだが、世界経済については前言に倣うなら「MSCIコクサイ指数は地球という星の体温である」と言うことなのだろうか。ここのところ、世界は微熱に浮かされている。ちょうどほろ酔いの、宴会のはじめのあたりか。地球を体にたとえるならば、どこの国がどの部位に当たるだろうか。アメリカは脳と心臓か。これはまあ異論はなさそうだ。口から胃、肺のあたりはそうなると中国か。中国は腸の一部まで食い込んでいるような気もする。ヨーロッパはどうだろう。肝臓とか腎臓とか、さしずめ、内蔵の重要臓器と、その辺りの位置? あ、ロシア中央アジアを忘れた。ヨーロッパ辺りと役割を分担だ。南米、アフリカ、その辺りは排泄系を担当してもらおう。オセアニアも手伝ってくれたまえ。で、肝心の日本は? 食道? 口腔系? 十二指腸? イメージでしかないが何か地味。極東周辺は内分泌担当か。中東は筋肉を担ってもらうか。では、あれ、盲腸は? 世界の中で盲腸は何処か? 

2020年10月6日火曜日

大人の勉強

 大人の勉強

 


ある時から詩や小説について勉強する代わりに経済や投資を独学するようになったら、ヨーロッパの歴史や世界大戦に至る経緯、恐慌や革命、産業の歴史などの薄ぼやけた理解が、ただ単に上がりそうな投資対象にベットするだけなのに、オートマチックについてきた。さらに、アラブやイスラム、モンゴル帝国から中華人民共和国まで、広く浅くに断片的な知識を得られた。それは教養というほどのレベルではないが、常識よりはやや上の知識ではないかと思う。ただ、興味がなければすぐに忘れてしまう。プレトンウッズ体制だか、プレストンウッズだか。あるいは両方誤りか。ただ、この何とか体制あたりはまあ、常識の範囲だろう。キリスト、やムハンマド(むかしマホメットではなかったか?)十字軍やラッダイト、パリ五月革命や第三帝国、そのあたりは歴史的事実として学校で習いはするが、それがどのように現代へと影響を及ぼしているか、また、歴史的事実がどのように絡みついて経済をも動かし、紛争や戦に発展するのか、そこまではどの学校でも習わなかった。習っても忘れたか、習うべき学校に行かなかった。中年を過ぎ、投資を開始してみたら、その辺も含めて、世界の有りようのほんの薄ぼんやりしたあたりが、ほんのぼんやり見えてきたという。ただし、医学部に通うほどの学費が今のところ費やされた。

2020年10月5日月曜日

スキットル

 


スキットル

 

深夜まで作業を続けて、大した物を食べたわけでもないのに、どんどん胸焼けがひどくなっていく。近頃、それが嫌であまり食べないようにしているのだが、それでも生じる胸焼けは、大根の千切りを生で食べることにより少しは押さえられているはずなのだが、あまり飲みたくない胃参のたぐいを仕方なく服薬しようと、テーブルをみたが見あたらない。そもそもこのテーブルは何故こんなに物が散らかっているのかと半ば憤慨しながらかき回していたら探しては忘れしていたスキットルが見つかった。骨董市でよく見る品のベストテンに入るだろう、鉄製の、旅先で飲むウイスキーなどを入れておく、あの、大人の水筒ならぬ酒筒。たしか、買ったときに、中に酒が入ったままだった。もちろん捨てた。流しにあけた液体は薄茶で、強くアルコールの匂いがしたが、人手に渡すとき、あえて中に洋酒を入れてそれ込みの売価を提示したのか、単なる入れ忘れだろうが、そんな売り買いのやりとりを僅かに深夜想像する。外見をさっと水洗いして、アルコールをしめした濡れティッシュでひととおり吹くと、ステンレスのヘアライン仕上げの地がみえた。当初、皮が巻いてあったが金属むき出しの方がいいと剥がしてしまった。その分痩せて、蓋と本体の段差がついたがこの方が私は気に入っている。古い物のはずなのだが、ステンレスのため錆びない。それともそれほど古くも無いのだろうか。いずれにしろ、中に入れるのは酒類以外思いつかない。しかも旅のお供のちょっとしたキャップだから、量的にはたくさん入らない、が、酒弱の私にはちょうどよく、どころかストレートならかなり酩酊するだろう。禁酒をする前にコーヒーを焼酎につけた。瓶の中で漆黒に育っている。それでも詰めて、禁酒一年過ぎの電車旅行へでも出かけようか。そのころには、職を辞して一年だ。
/////////////////////////////////////////////////////////
といってもう3年 何処にも行っていないのでした

2020年10月4日日曜日

リコール

 リコール

 

トヨタにリコールの対応をしてもらいに行った。助手席のエアバッグ交換とのこと。やっておかないと、車検が通らない。困る。エアバッグはタカタ製。エアバッグについては世界シェアの多数を誇る。それが、このようなときに命取りになる。以前、トヨタの下請けをしているその土地では名門の企業に出入りしていた。ABSのベアリングかなにかの製作をしていた。ほんの、零点何ミリの誤差の世界を均一にする仕事ぶりだ。世界的なメーカーの下請けになると、経営の安定は図れるかもしれないが、その微細な誤差により、今までの経営すべてが吹っ飛ぶ。もしも、今は不具合もなく正常に動作している部品に、僅かな、しかし、決定的な欠陥があると判明したら。その担当者だったとしたら。考えただけで背筋が固まり、胃から一斉に血が吹き出す。それを自分だけの心中に納めておくことなど私にはできない。しかし、企業が一丸となってそれを覆い隠し続けた場合、損失が分かったときに手を打ったものと比べて何倍にも膨れ上がるのは、わずかな想像力ですら想像できる。それが、何万分の一の確率でも、原因を隠したら、ばれたらもうお終いなのだ。だから、何かおかしいと感じたら絶対に放置してはならない、と口を酸っぱく言われたものだが、もう勤め人ではないので、大変だなあ、とタカタの、いや、高見の見物。トヨタの対応はとてもよかった。個人的には、この暮れに、洗車してもらって本当に嬉しかった。

////////////////////////////////////////////////////
二年ほど前の話です タカタも崩れていきました

2020年10月3日土曜日

こねる

こねる

 

大人の男がやりたがること、それは、いずれもこねる。叩いてもみしだきこねる。そばと陶芸


。勘違いしなさんな。何故、そばを打ちたがるのだろう。まず、最後にそばを食すという官能を満たす報酬がある。それは分かる。また、なんとなく、そば粉をこねて、押して、まとめて、という作業には邪念を払う適度な身体性が有りそうだというのも分かる。無心と集中。この、無心、というのがやはり肝だろう。無心。勤めていると無心を恋うる。たまの休みに、何もかも忘れて無心に何かに集中したい。で、そばにはそれがある。そのような仮説が思い浮かぶ。勤めを辞めると無心もむなしい。いつも無心であり無心ではないようなものだ。オンオフ切り替わらずいつも何かに追われている。不意に浮かぶアイディアに振り回される。そのような状態の基にこねられたそばはぶつぶつきれてのどごしどころではないだろう。陶芸は体験したことがある。やはり、こねる、のばす、形にする、というところに人を夢中にさせる要素が多分に含まれている。最後に器として実用物ができあがるのもいい。そう考えた場合、無心と報酬がやはり人を引きつける要素としてそばと陶芸に共通するものだと考えられる。それを応用して何か新しい物が出来ないかなどと考えて結局私はどちらの完成も失敗するような気がする。
 

2020年10月2日金曜日

片づけ

 片づけ

 


そろそろいろいろ準備を始めなければならないと思い片づけをする。なぜ準備で片づけか。ひとまずギター類をきちんと整理したい。そして、押入を久方ぶりに開けて、きちんとスペースを確保したい。もう楽器はあまり増やすつもりはないが、読んだ本、読んでない本、雑誌、もろもろ整理をはかりたい。いずれは全部売るつもりだ。簡単なところから片づけをはじめている。自分でも買ったことすら忘れていた本がいくつか出てきた。もちろん読んでいない。古井由吉「山躁賦」上林暁「禁酒宣言」小野十三郎詩集など。見て忘れていた物にジョンレノンの写真集、小倉遊亀の画集など。そのほかにも川本三郎や種村季弘などもろもろ。本は何冊くらい有るのだろう。千冊はおそらくある。たとえば、六畳の壁一面で何冊ぐらいなのか。昔に比べて本のありがたみというのは著しく毀損された気がする。読まれなくなった。本を読むほかにも楽しみはたくさんある。ネットやスマホで、しかもそれは余りに手軽に。確実に以前よりお金を使わなくて済むようになっている。もう古本屋も生業とするには厳しいだろう。以前、まだ勤めはじめの頃、何気なく上司にいつか古本屋をやってみたいと言ったら、その夢はきっと叶うよ、と何の根拠もなく言われた。おそらく今すぐその夢は叶えられる。ところで、何のために古本屋を始めたかったのだろう。暇そうだからか。見たこともない本が手元に入ってくるからだろうか。そのようなメルヘンでは明らかにやっては行けまい。ましてや状況は当時とはまるで違う。お金も使わなくなった、が、ということは稼げなくもなったということだ。本も音楽もなくなりはしないがつくるのも商うのも厳しくなっている。商うのが厳しいのはサラリーマンとて。そういう場所を誰もが歩かなければならない時代がくるのだろうか。が、絶対になくならない。本も音楽も芸術も。人間の世界からは絶対に。

2020年10月1日木曜日

ジャンクフード


 ジャンクフード

 

テレビを見ていたらオランダの夕食がフライドポテトだけというので驚いた。と同時にそのフライドポテトはとてもうまそうに見えた。そう、私はジャンキー。無類のジャンクフード好き。とりわけアメリカンドック。いいですね。アメリカンドッグといえば高速道路で遠出したとき、サービスエリアで食べるものと相場が決まっていた。値段も結構した。それが今やコンビニで駄菓子のように買えるのはうれしい限り。アメリカンドッグはやはりセブン。このあたりで以前にもアメリカンドッグについて書いたような記憶が浮かびつつあるが、なんといってもイレブン。アメ=セブンイレブン。アメリカンドッグの具?といえばソーセージ。アメリカンドッグのソーセージ、あれ、柔らかくておいしい。もし、あの甘い衣の中のソーセージが本格あらびきフランクだったら。絶対に違う。ぱりっとした歯ごたえが第一歯ごたえのあとに来たら歯の違和最大。アメリカンドッグの場合、具は勝ってはいけない。負けだ。具と衣がすっとひと噛みでほおばれて、咀嚼の課程でなめらかに渾然一体となり気がつくと食べ終わっているというのがアメリカンドッグという食べ物。異論がある人はドーナツと本格粗挽きフランク、ダブル買いでお願いします。アメリカの朝食にありそう。で、付いてくるケチャップとマスタード。もう少し分量が多いとうれしい。また、マスタードはくすんだ黄色の、酸っぱくて辛くないあの嘘くさいマスタードの方が今の粒マスタードよりもよりリアルなのだが、いろいろとコスト面、技術面で難しいのだろうとは理解できる。