孤独の方角
人の顔を見ていない。外出しても、とくにちらりと見るだけで、とくにまじまじと顔を見ている訳ではない。もちろん家族の顔は毎日見ている。時には子供を見つめたりもする。他の人の顔を見ていない。以前の仲間、決して短くはない期間を過ごしてきた広義での仲間、上司、同僚、部下後輩の好きだった人も嫌いな人も、すっかりと顔を見ない。ともすれば一生、もう見ない。私は、ここまでの仕事人生をきっぱりと忘れる決意をしたので、懐かしく思っても連絡はしない。あの人やこの人の、若い頃から年を取って、しわが目立ってきたり頭髪が薄くなったり白くなったり、病気をして見違えるようにやせたり、あるいは不摂生で太ったりしていく様を、特に希望して見てきたわけではないが見てきた。しかし、もうそんな風に他人を見続けていくこともそうはないかもしれない。少なくとも、三十年の変化を見届ける他人はもういないと思われる。顔をみて話をするというのは少なくとも私にとっては親しい関係の人への礼儀で、半ば好んで、親しさの関係性を放棄し、孤独への方角を選んだ結果、人の顔を見ないと言うことも当然の結果と言える。孤独への方角と、東西南北で言うならば、孤独が北、とは限らない。
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