空っぽ人間
心ない人と空っぽ人間は違う。心ない人は心を持つ。花泥棒は心ないが盗んだ花の使い道には心がある。だからといって許されるものではない。実家で育てている花がよく盗まれる。呆れてはいるが怒りはしない。防ぐ手だてもなく、目くじらを立てて防いだりもしない。しかし、空っぽ人間は心ない人間と少しニュアンスが変わってくる。何を考えているのか、表情からは読みとれない。その場の流れで、善にも悪にもなる。仕事の場面で、文句も言わず、ひたすら作業を続けて、昼食の輪の中にいるが自分からは話しもしないし話しかけられても反応が薄い。もしも、盗賊の中にいたら、ひたすら金品を袋に詰めて、邪魔立てする人物が現れたら容赦なく排除する。それは動物の本能に近い。言われたらやる。邪魔ならどける。そこに意志がない。空っぽ人間。人生の目的なんて考えない。生きる意味なんて見いださない。突進して曲がらない。失神しても起きあがる。空っぽ人間は蔑まれても気にしない。蔑まれることの意味を知るかも怪しい。空っぽ人間はある意味最強だ。傷つかない。痛まない。空っぽ人間は作られる。おそらく、誰かに作られる。フィジカルに、サイコに、生まれつきではなく作られる。そう思いたい。
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