根源的な不吉
書けるときにはどんどん書く。訓練だ。一度、鼻血を出すほどのめり込むと、しばらくやらなかったとしても再開してしばらく訓練すればコツを思いだせると信じている。そして、以前よりもうまくやれるとも。要は再開できるかどうかだ。サッカーをやっていたひと、再度、サッカーをやりますか。そして、今回のお題は、マスコミ的な話題にいちいち、我が事のように反応を示す人についてだ。大抵、こういう書き物などをしようという人間はマスコミごとにいちいち反応して目くじらをたてたり、正義を振りかざしたり、糾弾したりする人にたいして反応が冷ややかだ。だいたい、不倫はよくない、と言っている人に対して、他人事なんだからどうでもいいじゃん、と思う人が大半だと私なぞは思っていて、よく他人事に対して目くじらを立てて我が事のようになれるな、と思う口だが、そのような人々を冷淡に切り捨てるのはひょっとして違うのではないか、などとふと思いついてしまったのでこんな事書いている。何が違う、のかよく考えずに書き始めているのでまだわからない。が、他人事に目くじらを立てる人を冷淡に突き放す、というのは何か違う。そう直感してしまった。そこに何か、問題の芽が潜んでいる。ひととひとが分断されるような何かの問題が。別に思い違いならそれはそれでかまわない。大発見のように言うべき事でもない。しかし、そこに、根源的な、人間の根源的な何か不吉が、あるような気がしてきて言わずにいられないのでややフライング気味に文にしてみた。
0 件のコメント:
コメントを投稿