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2020年12月22日火曜日

やきそばの話

やきそばの話


 

やきそばはひらがな表記がしっくりくる。焼き蕎麦、ちょっと。焼きそば、これは許せる。中華麺に対しての蕎麦はほかの字を当てた方がいい。そもそも黄色いあの麺を蕎麦と言っていいものかどうか。ひらがな表記でしか、書けない。外来に当てるカタカナと言う点では焼キソバ、否、焼きは焼くなのだから焼きソバ、またはヤキソバ。全カタカナも違和感がある。と来たところで、私の一番好きなやきそばは小学校の給食に出たやきそばだ。麺は腰が無く、ぶつぶつと切れる。具にはタマネギのスライス、人参、これは確かに入っていた。しかし、キャベツとか、もやしなどが入っていた記憶が薄い。もやしはほんの少し入っていたかも。それに挽き肉。少しずつ固まりになって、噛むと口の中で少し抵抗のある小さな蛋白。それらにはおそらく、味がほとんど付いていない。すこし、甘みが感じられる。おそらく、人参とタマネギによる甘みだ。それが、持ち重りする金属のバケツいっぱいに放り込まれている。人気メニューなのでいつもより増量だ。それをまず普通盛りでみんなで食べる。薄いソースがテーブルに置かれ、みんな、それをドバドバかけて食べる。急いで。そして、お代わり。我先にバケツに走る。そこで、自分の思う存分皿に山盛り、ソースをびちゃびちゃにして食べるのがあの、給食の、やきそばなのだ。そしてその夜、何人かが食べ過ぎか消化不良で腹をこわす。あのやきそば、生焼けっぽい、油っぽい、などと陰口をいう親もいた。でも、あれでいい。あれが食べたい。あの当時の食材でなければ出せない味だろうと思う。味の記憶は長い間残る。そして二度と味わえないあの味に時折身悶えさせられる。 

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