偽りの充足感
定位置、いわゆるコックピットの脇に何冊か本がおいてあるのだが、土台が安定していないせいで、手前に気がつくとずり落ちている。手で押し戻すのだが、気がつくとずり落ちている。これが誠に気分の悪く。押し戻すとその上に置かれた財布やカメラが、雑多な物の谷間に落下し、下手をするととるのに不自然な姿勢を強いられ、額に汗を滲ませることになったりする。これをデバセ、という。何のことかは考えていただくとして、このうっとうしさを何とかしようと、物の山の二合目あたりを崩して、石垣のように積み直してみた。本のおいてある土台は金属の網のようなもので、重さに曲がってしまっている。その下に端切れの板を噛ませてみた。百均に行くと、なぜか板を三度に一度くらい買ってしまう。そのうちの一枚だ。そして、本を並べ直し、その上にカメラや財布をおいて、とりあえず居心地の悪い状態の改善を図った。そして、完璧とまでは行かなくとも一通りの満足を得られ、充足感に心満たされた。この充足感が本当にくせ者だ。なんら生産活動をしてもいないのに妙な労働感の満足が感じられ、何か成し遂げた気になって、その日はそれで気が済んでしまったりする。それは偽りの充足感だ、何も社会生産活動の足しになっていない、と分かっていても一仕事のあとのご褒美を欲したりしている。あんた、それ、間違ってるよ。それに、前にもそんなこと書いていたかもよ。
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