ロスカット
ロスカットというのは投資でもっとも重要だと言われるが、損をしたときにその損を確定させたくないのが人間という生きものだ。バチンコで、何万円もその台に使っていて、後千円ででる、後千円で、と何度も資金を追加して負ける。これはもう、本当にありふれたパターンだが、その、後千円、に人間の人間たる感情がぎゅっと凝縮されている。有る意味、そこで見切りをつけるというのはもっとも反人間的な行為であり、それが通常の事として出来る、というのはやはりただ者ではない。以前、職場に県内で一ニを争う進学高校の出身者がいて、意外にも彼は、学費をパチスロで稼いでいた。その、方法論としてはやはり、期待値の高い勝負を繰り返すというような物だったと思うが、酒の席だったのでよく聞いていなかった。ロスが出ても、そのロスを取り返すだけの利をのばせればトータルで勝てるわけで、そういう意味では投資いや投機は終わりのないさいころ振りの繰り返しなのだ。ただ、一つだけ望みが有るとすれば、経済活動は貧困を目指して行われる物ではなく、富を目指すものだから、基本は右肩に上がっていく。これがいわば期待値で、時間さえ長くとれれば、たとえば、十年、十五年と買った株を放置できれば、高確率でその株は上がる。たとえば、銘柄さえ大きくはずさなければ、五名柄のうち三銘柄程度は買値より上がるだろう。そこをどのようにルールづけてどう相場にかけるかが投資活動のすべてである。そこに、一本の筋が通ればおそらく、それは多分に反人間的な苦痛をもたらし、だが、長い時間をかけて何とか、花が咲くと思われる。本当に長い時間がかかるものだ。
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