私服問題1
私服問題
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二つ目の仕事はスーツの仕事だった。当時はソフトスーツというだぼっとした感じのカーキやグレーのスーツがはやっていた。またはベストつきの三つ揃え。その後ブレザーにグレーのチェックや細身や三つボタンやいろいろと流行があったが、最後は紺のノーマルスーツで過ごした。そして私服の暮らしに入るが、どうしたものか。中学のころアイビーというのが流行った。ポパイという雑誌が創刊されてスリッポン、デッキシューズ、ボタンダウン、コッパン、チノパン、アディダスのスタンスミスなど、いろいろなアイテム(当時はワードローブと言っていたか)が紹介され、どれも中学生には高価なものだった。しかし、ジーパンはそれでもリーバイスやリーなどは少し無理すれば買えたので、一本をすり切りれるまではきつぶしたものだ。また、靴ではRの字が横にはいったリーガルのスニーカーが大流行した。これもローヤルとか類似品が多く出回り、本物をはいていると盗まれた。手にはマジソンバッグを持っていた。マジソンスクエアガーデン、そのあと英語でごちゃごちゃ、くすんだ紺色のスポーツバッグだ。それが廃れるとローリングスとかアディダスの横にでかいスポーツバッグが流行った。私は運動のうの字も縁がなかったがローリングスを買ってもらった。今思えば、裕福ではないが類似品でごまかされことはなかった。アディドスとかプーモなどはいいとして、ちょっと太めにアディダスとロゴされたアディダスの偽物が出回ったとき、それをズバリ持っていた女の子がクラスにいて、みんないたたまれなくなってしまった。そういうヒトコマばかりは四十年経っても忘れないものだ。彼女の困惑した横顔が今でも鮮明に思い浮かぶ。
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