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2022年4月3日日曜日

投資で食べていくというのはどういうことか 2




相場についての思考 観察 判断はどこまでが

どう労働ととれるのか分けがたいが 実際に

入力 集計 考察作業をする時間というのは

週あたりに集約したとしてせいぜい1時間程度

である ツイッターで相場の雰囲気を見つつ

何人かのアナリストの意見を読み それらを

もとに自らの判断で投資作業をする あたりも

あれば外れもある 外してもいいように投資額

を管理厳守する 今している仕事と言えばそれ

だけである

そこには他社との軋轢もノルマもないし 圧力

も競争もない 付随する報告業務もプレゼン

もなく 営業も備品管理もない つまり付随雑務

はほぼないに等しく 暮らすためにいろいろと

雑事に追われることが全くない生活をしている

と言える 逆の視点を持つならば勤め人とは

直接の利益に関する以外の無駄な作業をな

んと行っていることだろう なんとそれらの雑務

にまみれていることだろうと見える 仕事 という

行為自体が幻想のように思える 日報を付ける

ことの意味など 限りなく希薄なものに見えてくる

儲かるか 損するか 身銭が増えるかなくなるか

の二択の世界が投資生活なのである

夢や希望 生きがい 人生の意味 それらから

いくらでも遠ざかれる生活である とても単調で

暇な時間が充実感なく過ぎていく それでも

資産が尽きなければ生活ができる こんな暮らし

は人間として間違っている といわれれば そう

かもしれないが 精神を病んでまで極限まで

労働するのが人の道かと思えばそうとは言えない

疲弊した人たちが他人にきつく当たり弱い者へ

怒りを向けているのを見聞きすると こちらの

人を傷つけもしない傷つけられもしない 自由

かつ自己責任の生活の方が自分にも社会にも

優しい気がする

だが このような生き方はあくまで社会の特例

またはバグのような気がいつでもしている とく

に威張れるものではなく 後ろめたさがなんと

なくつきまとう 働く とりわけ 人の役に立つ

ということの尊さには長い勤務生活から離れて

ようやく気が付けたところである 他人のため

を思いやる生き方の美しさは年齢もあってか

最近とみに尊いものだと感じている

ならば それらの活動に身を投じるか といえば

やらない 自分の性格に合っていない 他人に

奉仕するという気もちが希薄だ それが悪い

とも特に思わない ともすれば自傷他害に走り

たがるのが人間の本質の一つであると思うが

この生活のおかげでそちらの方向へ行かずに

すんでいる 私に不快な思いをさせた他人が

煩悩のさなかでもがいていると考えるとこの

のんべんだらりとした生活も悪くは決してない

だた本来人間の生は退屈だと思うだけである


 


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